思考力

迷鏡

起きるのに勇気がいった。まだ、残暑が厳しい。暑さ寒さも彼岸までなんていう言葉があるが、まだまだ彼岸を超えようが暑さが停滞してしまうかのような気温な中、まるで真冬の朝のような暗い気持ちで、布団から出るのがとても辛かった。昨晩は、なかなか早い時間に寝落ちすることができたみたいで、もし爽快に明け方目が醒めたのであれば、釣具を車に突っ込んで、釣りにでも出かけようとしていたのだから、今朝の目覚めの悪さは予定外といえば予定外でもある。

まだ窓も開けていない。いつもなら、マットレスを上げて窓を全開にし、ルンバを作動させて記事を書き、やがて出来上がったコーヒーを飲みながら記事を書く。そんな中で、ルンバが充電ステーションに帰ったら、窓際に観葉植物をおいて、1日の始まりだ。そんなルーティンが出来上がりつつあったというのに、やはりそれも自分の中で軽度の重荷になっていたのか、それを行うことができなかった。気持ちばかりが先行して、なかなか自分の中の自分は、そんな表面の自分を快く思っていなかったのかもしれない。

双極性障害というのは、とても厄介な病気である。前の日に調子が良かったにも関わらず、次の日には一気に具合が悪くなっていたりする。例えば、次の日にイレギュラーな仕事があったり、何らかの予約や誰かとの待ち合わせでもあろうものなら、そのまま変に緊張して眠れなくなり、次の日には最悪のコンディションで予定をこなすことになることもある。そうなってくると、あまり事情を知らない人からすれば、こちらの対応がずさんだったり、元気のない対応をされたと思われ、気分を害してしまうことだってある。そういうことを繰り返していると、やはり社会との接点をできるだけ少なくし、できるだけ身をひそめていたくなる。そうなると、今朝のような夜行性の状態を求めるような生き方を望むこととなってしまう。

では、どんなパートナーがいれば良いのだろうかと考えると、自分の好きなときに、自分の思うように付き合ってくれる相方が欲しくなり、そんな自分のわがままを通してもらえる相手というのがいないことに当然気づく。しかしながら、唯一そんな相手がいるとすれば、感情を持たない「機械」だったりする。機械であれば、一年中、一日中、自分の体調など構わず指示に従ってくれるわけだし、それに文句をいうこともない。だから、このようなビジネスパートナーがいれば、自分の精神的負担も軽くなるのかもしれない。いや、そのような方向へ自分を回避させ、解放させていくことを肯定しなければ、あまりにも生きづらくて動けなくなってしまう。

昨日、AIを使って自分の書き上げた記事を読み上げてもらった。AIは、私のような滑舌の悪い人間よりずっと滑らかにテキストを読んでくれる。そして、声のトーンだって変わらない。感情がないというよりも、淡々と読み上げてもらった方が自分の記事に変な脚色がつかなくて済む。こちらの方が好都合でもあるのだ。それならば、このような事実を元にして、自分の生き方そのものを、機械とともに共存させることを目指していくべきなのではないだろうか。それは、決して逃げるということでもなければ、諦めるということでもない。よりよく生きるための「術」であると考えよう。

自分の中に自分を隠したまま、どれが本当の自分で、それが自分の本心なのか分からなくなる。それは、鏡が多方面で自分を映し出して、幻覚を見ているような状態。歩く速度を落とし、手を前にしながらでも、ゆっくりと進む。そして、決して目を瞑ることなく前方へ、その方向が前方でないと感じたら、一枚の鏡を見つめ、実物の自分を照らしているのかを考える。そして、自分の中で自分を照らしているものがあると理解できたのであれば、さらに歩を進めていく。光さえ失わなければ、きっとその鏡ばりの迷路を抜けられる。それを信じ抜けたときに、次のステージが必ず続いているのだ。

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