思考力

もはや仕切り直し不要な行為

明日は大晦日。特段意識はしていないのだけれども、車で適当にYouTubeを聴いていれば、オススメ動画には「大掃除」とか、「断捨離」の動画が出てくる。いつも掃除には気を配っているので、内容が重複しているのは分かっていつつ、改めて動画を聴き直していると、無性にというほどではないけれど、最終の「詰め」の掃除をしたい気持ちになった。自分の中の大定番である「ウタマロクリーナー」だが、あいにく切らしてしまい、さらに薬局の在庫も無くなっていて、手持ちの掃除道具で「大晦日イブ」をやり過ごすことになった。

すでに、昨日もかなり大掛かりな掃除はしていたので、今日は、細かな部分の掃除をした。愛車の窓をピカピカにする撥水剤が、果たしてキッチンや洗面台の撥水にも効果があるのか不明だったが、とにかく「やらないよりマシ」という、よく受験生に鼓舞していたセリフを自分に語りかけ、黙々と掃除をしていた。やはり、風水的に、玄関の掃除には手を抜けず、かなりダルイ玄関グッズを床に置いて、開いたところを拭き掃除した。すると、御守りが3個程度出てきて、自分の来年のスケジュール帳の最初のイベントが、精神科受診前のお札返しだったことにハッとした。やはり、玄関を意識すると、開運が近づいてくるのだろうか。

キリの良いところで掃除をやめると、玄関のチャイムが鳴り、立て続けに贈られてくる「ふるさと納税返礼品」だった。駆け込み納税が話題になっていたが、自分もその一員のようで、しかももはや、何処にいくら寄付して、なんの返礼品をいただけるのかも不明の状態。それでいて、今日もギリギリのふるさと納税をして、来年にくる返礼品を待つことになった。今日来た返礼品は、大量のトイレットペーパーと、レンチンの御飯。もし、この記事をアップして災害が起こったとしても、トイレとご飯の心配はなさそうだ。

海沿いを走り、地味に混雑している海岸線に気を配る。駐車場に、予想した人数程度のサーファーがいる。記録的な暖冬の中、さぞかし海の中では気持ちいい波乗りができているのだと思う。自分は、アスファルトの上に描いた波を、四輪の板の上で乗りこなしている。これだけ乗り込んでいれば、やはり板のキレや角度にも違いが出てくる。中年とはいえ、積み重ねることには、何かしらかの成長があり、その中に「賜物」と言えるような新しい景色が見えてくる。誰と争うわけでもないのだけれども、やはり、誰かしらに誇れるような特技は、持っておくべきだと思っている。

今年、結局のところ、一枚も年賀状を書かなかった。昨年は、命を落としかけたという意味で、縁起が悪い新年を迎えたということにして年賀状を控えたのだが、今年に関しては、何が原因で書かなかったのだろうか。やはり、サボる年があれば、次の年もサボってもいいかという弱気になってしまうのかもしれない。それはそれで、仕方のないことなのかもしれないし、今や年賀状という一種のガラパゴス化しつつある慣習から、足を洗うべき時なのかもしれない。

今のアパートに住んで、2年以上が経過した。今年、引越しをすると決意して、もう契約書にハンコを押すというところで、契約が破棄になり、今もこのお気に入りのアパートで生活している。そして、そのことを本当にラッキーだと思っている。今より家賃が2倍以上の場所に引っ越すことになっていたというのもあるが、やはり今のアパートを離れるデメリットが大きすぎる。心の底からそう思えるほど、今のアパートは大のお気に入りなのだ。そのような気持ちがあるから、もはや大掃除という特別なイベント行事を改めて仕切り直す必要もなく、淡々と掃除ができるのだと思う。

来年はどのような年になるのだろうか。昔は、新しい年に期待することは、新しい出会いであった。でも、今はこの独り身が楽だし、この生活に満足しているのかもしれない。だから、昨年のような瀕死の事故だけは起こさぬよう、突発的な怪我には注意したいものだ。今年最後の字bんへのご褒美は、スケボー用のヘルメットでもいいのかもしれない。

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