思考力

折れてしまったモノ

 

「ミニマリスト」なる言葉を聞き慣れるようになって久しい。モノを減らすことで、本当に価値のあるものが残るというのは、私も経験している。他界した私の母は、私には何でも買い与えてくれたので、極めて甘えん坊のボンボンだった私は、現在のように預金通帳の額を見て愕然とする日々が来るとは、つゆとも予想できなかった。洋服に関しては、ブランド品やビンテージの洋服に凝りに凝って、とんでもない額を費やしつつ、ダサいファッションの人を、心の奥底から「センスのない人」だと決め込んでいたものだ。

いまだに気を抜くと、メルカリのアメカジの洋服を検索し続けていることもある。若い頃のこだわりというのは、そうそう易々と消えてくれるものではないようだ。持っているモノで、人を値踏みするというのは、やはり良い行為とはいえない。むしろ、最近の大富豪である、マークザッカーバーグやスティーブジョブスなどは、選択の時間と労力を節約するために、凝った洋服など着ていないわけだから、今現在、服に凝っている人というのは、逆に軽蔑される対象となり得る。

サーフィンの道具に関しても、昔は凝りに凝った高価なモノを使用していたが、最近では、それこそ「ミニマリスト」を目指しており、昨日のブログの通り、昨日は「ウェットスーツ」を忘れる始末。今日は、念には念をと、2着ウェットを積んで海に向かえど、開始30分程度で、板の裏のパーツ部分である「フィン」が折れてしまった。今や、このパーツに関しては、素材やブランドなどは気になどせず、付いていれば構わないという大雑把な考えに至ったのだが、逆に考えれば、付いていなければ、板が走っていかないのだ。車で言えば、タイヤが一本ないのと同じ。幸い、最近手に入れていた中古の板があったので、それを使用して事無きを得た。

私が、サーフィンを始めた頃の「90年代」のペラペラのボードは、今や見向きもされなくなった。先ほど、近所のリサイクルショップに行ったら、「フィン」よりも安い値段が付いている物さえあったくらいだ。海を見渡しても、最近の雑誌や動画などのメディアの影響だろう、「レトロだけど中身は最新」と言わんばかりの板を抱えている人が多い。ジーパンで言えば、ビンテージジーンズのレプリカと言ったところか。悲しいことだが、見た目が良いだけで中身が伴わず、板を抱えてテンションが上がるだけの技量の人も多いのが現状だ。

そんな板が高値で売買され、そんな板に乗れないことを板のせいにする。そんな昔の私のような人が多いようで、どこまで行っても「レトロ」「レトロ」「レトロ」。そんなに昔の板がいいのなら、今のプロサーファーが乗っている、「90年代」のペラペラの板の立場はどうなってしまうのだろう。結局、行き着きたいところが、プロサーファーのようなライディングであるのならば、そのような上級者のボードに近い形状の板を乗った方が、近道とも言え流のではないだろうか。いろいろな考え方がある中で、サーフィンで飯を食っているわけではなく、脳をリラックスさせて、グッスリ眠るのが目的であれば、板の形状など二の次になっても良いだろうし、私も、不眠症と精神安定のための運動も兼ねているので、流行に関するウンチクを述べられる立場ではない。

今、サーフィン終わりの夜にブログを綴っている。しばらくは、「夜」に記事を書き綴り続けることになりそうだ。もちろん、文章作成の時間帯の指定や宣言などしていないので、別に問題はない。一応、気持ちだけは「朝」にしてみようと、「朝ジャズ」をかけてリラックスBGMとしている。なかなか、聴き心地が良い。それにしても、サーファーというのは、とても特殊な人種であると、つくづく思う。日本に向かって低気圧が発生し、それが台風にでも発達しようものなら、それに心躍らせるわけだから、なんとも不謹慎な存在だ。

ただ、昔ほどのブラックなイメージもなくなってきて、趣味に没頭している人にだけ備わっている能力を、確実に心身に秘めている。この年になって、折れたフィンの替のフィンを、道具箱から出してセッティングしてワクワクする。天気図に映し出される台風と、自分の気分の高揚が一致する。モノを買うなんてことそのものが、「ダサい」。今は、「体験」を買うことこそが、最高の贅沢なのだと、体感している。

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