思考力

賢いリスクテイカー

誰しもが「苦手」とするタイプの人間がいるはず。今、アタマに思い浮かべた特定の「アイツ」がそうである。私も、顔を見るだに震え上がって吐き気を催してしまうようなニンゲンもいるし、今は関わらずとも、関係性が切れずにグズグズしていたとき、あるいは環境や状況の中で強制的に関わりを持たざるをえなくなったニンゲンも多い。今、思い返すだけで腹ワタが煮えくりかえり、出会ったことそのものを後悔することもあれば、あまりよろしくないが、心の中では殺意さえ感じざるジンブツもいる。私の場合は特に、その場の瞬間で怒髪をつく事はなく、徐々にマグマが湧いて来る小心者ゆえに、憎しみを持つ対象が人よりも多くなる傾向がある。

 

ただ、そのような憎しみの対象であり、存在そのものを全否定したくなるような輩であっても、その人物を必要としている者がいるからこそ、ソイツは存在しているわけで、こちらの都合に任せてソイツの命を絶やす権利もない。自分は、裁判官ではないのだから「死刑執行」を意のままに下せることはできないのだから、残る選択肢はやはり、全速力で逃げることしかない。最悪なのは、そのような反りの合わぬ者とダラダラと付き合い続けてしまうことであり、そこに依存性が生じ始めるとタチが悪い。自分のレベルは、その愚か者の範疇でしか上がることはなく、その低いレベルの者の陰謀論に、まんまと支配されるだけになってしまうのだ。

人間は、2000年ほど前は、集団で槍を持って獣を追いかけ回し、それを狩って集団でシェアすることで生きながらえてきた。その2000年という極端に少ない期間で、信じられないほどの進化をしたのが人間という生き物であり、とんでもない勢いで「テクノロジー」なるものを形成してコミュニティー社会を確立し、集団生活をするようになった。太古からのDNAを、テクノロジーと融合させて「集団闘争本能」を受け継いでいる、なんとも賢い生き物と言えよう。だから、どんなに憎しみの感情を抱いてしまった相手であったとしても、ある共同体でゴチャ混ぜにさせられてしまったのであれば、やはり穏便に事を進めるためには、ある程度のガマンは必要となってくる。

ところが、人間は歴史を振り返ることができるという学習能力も兼ね備えた生き物でもある。過去の偉人たちの生き方を振り返ることができ、さらに、振り返りつつ未来へ向けての生きる指針を考えらるという「超能力」のような先天的とも後天的とも言える能力をもっている。偉人というのは、漢字を変えれば「異人」でもあるとも言える。大衆に没入することなくリスクを取った人が大きな偉業を成し遂げてきたのだ。ビジネス、スポーツ、アートなど、あらゆる分野で秀でた能力を発揮した人物は、リスクと引き換えに大きな成功をおさめている。それがハッピーエンドになることが多いので、語り継がれることもあれば、大どんでん返しで奈落の底に叩き落とされて語り継がれる異人もいる。

 

動物的本能として、危機を察知したら逃げるのは当然であり、集団から大きくはみ出てしまうこと恐ることも仕方のないことである。ただ、少なくとも秀でた人間として活躍したいのであれば、現状に甘んじることなく積極的にリスクを取っていく生き方をしなければならない。一見すると、そのような人物は無謀な生き方をしており、さぞかし苦しい思いをしていると周囲は不安に思い、気の毒に感じることもある。しかしながら、本人は困難に対して臆することなく進んでいることに恐怖を感じているどころか、喜びや快感さえも感じていることがある。マゾヒズムの如く自分を痛めつけて興奮でもしているのだろうか、ひとつの苦境を乗り越えると、別のチャレンジを探し回っていたりもする。

人生は、結局のところ自己満足である。限られた人生という時間の中で、寝て起きて排泄をしての繰り返しで死を迎える人もいれば、周囲が目を見張るような成果を叩き出して生を終える者もいる。本当に性格の悪い人は、前者になりたくないがあまり、後者を恨み、妬み、足を引っ張ろうとする。ただ、賢い人というのは、逆視点であり、周囲から見れば信じられないほどの努力を喜びとして捉え、自分の不足している面を補うようにして生きていく。

私も40を超え、まだまだ未熟とはいえども、人生経験が多くなってくるにつれ、客観的に物事を俯瞰して見られるようになった。初対面の人の取り繕いや言葉のつなぎ目の中に、その人が歩んできた「重み」も理解できるようにもなってきている。見えざるモノに対して恐怖を感じることが本能であるのなら、それを察知して自分の歩む方向を微調整する。ただ、必要以上に恐れて、歩を進めることさえできなくなれば、成長は止まる。そのボーダーラインを性格に見定めるためには「経験」が必要だ。そして、若い頃の経験というのは、歳をとってからの人生に大きな影響を与えることになる。

天にいる父が遺した言葉、「若いうちの一年は、歳をとってからの10年に値する」。最近では、この言葉の重みをひしひしと感じられるようになった。

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