思考力

穏やかな猫の鰹節

現在、生活保護を申請している。別に、大っぴらに書く必要もないが、隠す必要もない。国民の最後のセーフティーネットゆえ、生保申告の出だしの記事も悪くはなかろう。今、朝の5時。落ち着いた心で朝の雨音を聞きながら、ブログを書く。「それならば働け」という声も聞こえてきそうだが、なにぶん、私の就職活動は良い方向へと向かっている。自分の眠りかけていた最強の武器である塾講師としての仕事の第一次選考通過の知らせが、多くきているのだ。この状態で、慣れない畑違いの仕事をしようとは思わない。今は、ダブルワークなどしないで、どの塾に採用されても良いように、採用面接等に向けて、体調とスケジュール管理をしなければならない。

ずっと生保を利用しようとは思っていない。ただ一度、仕切り直しという意味で、生活を立て直すためのイニシャルコストが欲しい。これも、お堅いお役所が、なかなか動いてくれないことが実情で、審査が通るか否かの区別は、自分の生保の担当者が、いかにして生活福祉課の決定会議でやる気を出して前へ出てくるかにかかっている。前回の「間取り調査」という自宅訪問では、これだけ部屋をきれいにキープできて、尚且つ仕事も熱心に探しているのであれば生保は必要ないと言われた。相手も、なかなかお金を出し渋る。福祉金を受け取るなどそんなものか。

ただ、今、お金が入ったとしたら、やはり大変なことになりそうだ。亡き父が、「マサにお金を管理させるなんて、ネコに鰹節の管理をさせるのと同じだ」という名言(迷言)を遺しているほど、私の金銭感覚は狂っている。毎日のように、やりたいことが湧き出てくる。バイクが欲しくなったり、釣竿が欲しくなったり、自転車が欲しくなったり、スケボー が欲しくなったり。さすが、我が父親。全て見抜いていたようだ。

あと1週間程度で、母の一周忌が来る。天国の母は、今の私の生保ギリギリの状態を良くは思っていないはず。でも、母は、戒名に「穏」という漢字を入れたほど、温厚な人だった。だから、今の私を怒ることは決してしないと思っている。ただただ、私の生活の立て直しを願ってくれているはずだ。母は、自分自身のことを、酷く責める性格の人であった。私の双極性障害であれ、自分が育て方が悪かったミスだと思い込んで、自分を責めていたようだった。

最近、とてもよく思うのだが、もっと父や母といろいろなことを話しておけば良かったと後悔する。二人の馴れ初めの話や、それぞれがどのような仕事をしていたのかさえ知らない。ただただ、私たち家族は、それぞれが違う方向を向きながら生活をしていた。田舎の夜、田舎の朝。今、生保の申請をして、外房の生活をしながら、私の生保の申請中に両親が思うことを推測すると同時に出てくる切ない思いであった。

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