思考力

虚無感に漂流する

どうしても書くことがないと思ったら、昨日は誰とも会話をしていないし、もっと言えば、全く外出もしていなかった。これで何か外的な変化がないまま内面的な刺激が出てくるかと言えば、やはりそんなことはなく、24時間を歳を重ねるだけに費やしてしまったようだ。そんな引きこもり状態をした回数など、何度も経験していたわけで、特に二十代半ばまでの貴重な時間を、そんな状態で過ごしていたことは、とても残念で仕方がない。浪費したとまでは思いたくないが、やはり「もったいなかった」と思う気持ちは強く残る。

そんな時期があったからこその「今」なのだが、やはり悔しいくらい貴重な時間をヤドカリ生活で費やしてしまったのだから、それを何か別の方向へ持っていけたら、どれだけ大きな何かを達成できたのだろうかと落ち込んでしまう。私の場合、だいたい生活に刺激がなくなると、このような悲観的な考え方に傾いてしまうので、この台風が去っていった後には、何か没頭できることをして、具体的なことを進めていきたいものだ。こう書いたところで、まだ目標とすべきことすら決まっていないのだから、結局何もできずに終わってしまうのではないかと、これまた不安が残ってしまう。

腰を痛めてから、どんなに頑張っても無理な動きというのができなくなり、行動制限までもができてしまった。一気に老いを感じると、やはりやはり虚無感が襲ってくる。こうやってキーボードを弾きながら、自分が前向きに語れることがないことに気付くと、これから何ら成し遂げられなくなってしまうのかもしれないという焦燥感にも襲われてしまう。作成している記事そのものに覇気が感じられないのなら、書いているという行為そのものに、意味があるのかとさえ思い、やはり虚しい。

自分は立ち止まりたくとも、時間というのは否応なしに進んでいくのであり、それに抗うことは決してできない。今まで立ち止まったからと言って、何か蓄積されたものがあるのかと言えば、そんなものはないと思う。ただ、ガムシャラに進むことだけがプラスとも言えないはず。もし、苦しみに麻痺するような生活であるのならば、それはそれで悲惨な奴隷のような日々になっていくことだろう。生かされてはいけない、生きていかなければならない。そんな気持ちを必ず胸に抱え、1日の中で自分の成し遂げられることを確認するような日々を送りたいと思った。

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