思考力

境界と判断

胸焼け。起きると、お菓子の袋の山が、ベッドサイドに散らばっている。またやってしまった。来らぬ眠気を誘発するために、大量のお菓子を買って、その勢いで眠ってしまったようだ。今服用している薬の注意点として、寝る支度をして薬を飲んだら、そのまま横になっていること。さもなくば、夢遊病のような状態で、フラフラと記憶にない、奇怪な行動に出てしまうようだ。そして、最近の体内時計のズレというか、一気に下がった気温によって、起きることが困難な状態でくすぶって冬眠状態の体を起こしにくい自分の生活で、眠りに落ちるのが困難になってしまっている。

昨日は行けなかった、体4カ所のリハビリに行った。前回ほどの混雑はなかった整形外科であれ、やはり午後の診察を挟んでの診察券の受付であれ、名前を呼ばれるのは遅く、リハビリと合わせると、1時間以上の待機時間となる。もし、自分が会社員だったら、こんな贅沢な時間の使い方はできないので、やはり今の恵まれた環境には、深く感謝したい。なんだかんだ言って、体に電気が走っている間は、スマホをポチポチしている。ストレートネックを悪化させた原因が、スマホであることは間違いない。そして、デジタルデトックスができていない自分の現代社会への染み込み方が、とても不自然であることにも気づく。

ふるさと納税の寄付金額と返礼品のバランス、証券口座の解約と、ネット銀行の解約、はたまた身近で具体的なところで言えば、どこを大掃除のターゲットにするかをネットで調べていた。断捨離もすでに終わっているような状態で、ルンバに快適に動いてもらうために、床に極力モノを置いていないので、あとの掃除箇所といえば、クローゼットの奥や、シンクや洗面台の下などであろう。こう考えてみると、板とウェットスーツで床面積を占領してしまうサーフィングッツは、自分には合わない。やはり、断捨離をすることで、自分が本当に求めていることが何なのかが、かなり明確にもなる。

ふるさと納税は、極力消耗品や、消費できるもの、つまり形が無くなるものを選んでいる。そうしなければ、また自分の部屋がとっ散らかってしまうことは明白であり、もう物に囲まれた生活の中で、自分自身まで見失いたくはない。新鮮な返礼品が、身体の中を通って、自分の体を構成する一要素になってくれれば、それでもう問題ない。固形で残る物は、極力自分の中では、拒否していかなければならないと自戒していることが。そうやって、シンプルに境界線を作ることにより、自分な中で手に入れたい「残る物」がハッキリとしてくる。やはり、そんな中で、スケボーを購入した。

今日の診察の長引き方で、予定に入れていたいつものドライブからのスケボーができなかった。自分にとっては、毎日、欠かさず行っていて、唯一、自分が心から率先できることなので、予定が崩れたのは結構しんどい。無理に海岸に行ったところで、季節的に、午後5時前で、すでに真っ暗になっている中で、派手に転んで怪我をしたくはない。それでは、まさに本末転倒の状態。スケボーで痛めた身体のリハビリの間に、スケボーで怪我をするという「愚」は、絶対に避けたい。

次の板が手に入ると、4台のスケボーのオーナーになる。部品をストックするためだけのパーツ保管用のスケボー 。ゆっくりまったりクルージングするためのスケボー。思いっきり体を旋回させるスケボー。そして、次に来るスケボーは、踏む程にしなる板。これで、当分、自分の中のイメージ通りの動きを練習できる。こういったワクワクにかける費用を惜しむことはしない。一時、外車に物欲を刺激されていたが、それも一種の「熱病」のような現象であったようで、見栄のための消費は、浪費以外の何物でもない。反対に、同じような物であったとしても、それが自分の中で心から楽しむことができる道具なのであれば、それは間違いなく投資すべき「宝物」なのだと判断していこうと思う。

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