思考力

ガラパゴス教育

なかなか、今日も起きるのが難しく、カーテンを開けると、春の心地よい風が肌を包み込み、小鳥のさえずりが聞こえて来る。一杯の薄い茶を飲み、歯磨きをして、コーヒーを淹れる。パソコンの電源を付け、ブログのアウトラインをA4のノート見開きに書き込んだら、iPadでボサノヴァBGMをセットして、カタカタとMacBookのキーボードを叩いている。今、ここまでの流れが終了。そして、淹れたてのコーヒーをすすりながら、ブログの内容を組み立てている。このサイクルを3ヶ月も続けていれば、会社員時代に、セカセカと朝支度をして、ネクタイを締めて車のキーを握り締めて電車に飛び乗るのと同じような習慣。言うまでもなく、今の生活の中に「天使」が存在していることを実感する。

こんな春のポカポカ陽気の中で、少し遅い朝の光の中でブログを書いている今の恵まれた環境に感謝する以外ない。精神的なことを含めても、春の風になって舞っている天使たちに保護された生活の中で考えることは、前向きなことであり、過去のトラウマがフッと顔を出しても、サラリと交わすことがで知る。今、「サラリ」を変換しようとしたら「サラリーマン」という考えられない地獄に突っ込んでいる人たちと、そんなヒトだった自分を思い出して、ヒヤッとした。

おそらく、今でも「会社員」だったとしたら、「通勤時間往復3時間以上」の人生の浪費をしつつ、コロナのライブニュースをスマホで見ながら、マスコミが煽りまくってくる「変異株感染力強まる」「大阪府新たに594人感染発表」などの文字を、何の感情もなくタップして、文字がアタマを擦り抜けていくばかり。職場に着いたところで、本来であれば、事務員がやらなければならない「電話対応」や「生徒のコピー機使用の手伝い」などをこなしながら、本来こなすべき自分の授業用プリントの整理もできない状態だ。1円にもならない自作プリントであっても、プリンターを持っていない自分は、コンビニのネットプリントでプリントアウトしなければならず、完全に赤字となる。

あぁ、やはり、爽やかな朝に愚痴を垂れ流してしまった。今回のブログの下書きが「リーダー」になるべき人についてだったので、会社員時代の上司のことを考えていたら、文章が負のベクトルへと傾いてしまった。ご容赦・ご了承いただきたい。では、リーダーに求められるべき要素を考えてみよう。物事は、2項対立で考えると分かりやすいので、部下が「離れていく」ケースと、「ついて来る」ケースに分けて考えよう。共通点としては、リーダーとなるべき人は、そのパーティーの分野の知識が一番高くなくてはならない。あくまでも、自分の手の届かないタスクのみを、部下に分配しなければならないと思っている。自分ができもしないことを押し付けるということは、自分より優れた人材を支配することになる。だから、リーダーは、その分野のスペシャリストでなければならない。

では、そのようなリーダーは、あるタスクに対しての部下からの提案に対し、「認証」と「却下」を正確に下せなくてはならない。そして、その際に、進化し続けるパーティーを形成するための説明ができなければ、本当のリーダーシップを持っているとは言えない。提案された戦略を受けたときに、そのアイディアに対する是非次第で、部下のやる気を引き出す能力も、とても重要なのだ。そして、さらに先をいくパーティーになるためには、現状がどんなに貧弱な状態であっても、新時代の流れを読み、従来の流れそのものを大きく変革できるようなパワーも必要だ。今は、動くべきか否か。全体の流れが、世間の常識に流された「常識的な意識」に埋没していないかなど。そして、どんなに優秀なリーダーであったとしても、部下を信じ、自分が強く宣言した指示そのものが間違って、過去の自分の指示を撤回しても、十分に許容してくれるような部下との関係を築いている者が、リーダーには必要不可欠なのである。

そうやって、自分なりの「リーダー像」を考えていると、自分が千葉で働いていた「真っ黒カンパニー」の上司が、いかに無能であり、いかにブラックであり、いかに自分の仕事に対するプライドをズタズタに切り裂いたかが分かる。だから、私は、自分の責任だけを負うだけの範囲内で、部下を持たず、シングルタスク一点に命を捧げられるような、今の生き方を当分、持続していくつもりだ。今は、リーダーなど存在しなくても、十分に生活費を賄える収入を得られる機会がたくさんある。リーダーなくして成り立つ仕事の方が、どんどん増え、ますます貴重な仕事としてみなされていくだろう。これは、確実だと思っている。仮に、自分の仕事配分が多くなり過ぎたら、一時的な付き合いとして「クラウドワークス」などで、淡白な仕事関係で仕事量を調整できるのだから。

今、受験業界では、多くの塾産業が「勝ち組」「負け組」と分離してきている。かつて応募書類を送り、門前払いされた予備校が倒産し、今や、そこ一本で働いていた講師たちが路頭に迷っていることを知った。私は、もう「受験生」を相手に授業をして収入を得ることそのものに、限界が来ているのだと感じている。そもそも、リーダーとなるべき人材が、上記に挙げたような理想像から離れているというより、むしろ真逆の存在でドッカリと居座っているからである。少子化に伴い、いや、インターネットの発達に伴い、いつでもどこでも「定額」かつ「低額」で授業を受けられる時代に、わざわざ教室に足を運んで、授業料を払うこと自体が、「ガラケー」状態になる。もうそんな事態がすぐそこまで来ている。

では、断言しよう。一年後に、今ある大手の塾や予備校の4割以上が倒産する。数が40%減る。一年後、このブログが続いているならば、その予測は限りなく100%に近い確率で的中する。では、どのような教育が、今後の時代の主流になるのか。それは、私の「共育理念」に基づいた共育である。「偏差値」に囚われない学問の追求。自分の考えだからではなく、必然的にそうなるからこそ、今の私の「思考力養成予備校」が産声を上げたのだ。その考え方に自信があるからこそ、こうやって毎日毎日、真の学問の追求の大切さを綴っているのだ。

 

 

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