思考力

端に見える火鉢

舌先に、大きな口内炎ができた。体重計の数値も高い。去年、糖尿病の発症が出てはまずいからと、主治医からは、食生活を摂生するように指導されている。それなのに、眠れないという焦りから、甘いものを大量に食べながら眠っているせいか、どんどん体調が悪くなるというよりか、「重く」なってしまっている。素敵な恋人に痩せなさいと言われるのであれば、ダイエットでもしようと思うが、しょせん独り身で付き合っている人もいないので、このままデブ路線で行くのも問題ないのかもしれない。

ここ数日、アップルウォッチを外して眠っているので、自分の睡眠が浅いのか深いのかとか、無意識のうちに覚醒気味の時間があったのかとかが分からない。このようなスマートウォッチが発達したら、自分のコンディションをセルフチェックできる時代になるので、その分、医療の簡略化にもつながるはず。だから、そのような恩恵を受けるためにも、デバイスの進化には、常に身を任せるが如く送れずについていかなければならないと思っている。頭蓋骨骨折のとき、転倒した自転車と共に生きながらえたのは、自分のポケットにスマホを入れておいたことでできたことだし、現代人として自分の命がデバイスで救われたことをも知った。

手紙を書きたいと思っている人が数人いる。やはり、昨年末に年賀状を送らなかったからか、自分の一年の始まりを伝えられずにいたため、年賀状という一枚の葉書でさえも音信不通になってしまったので、改めて手紙を書いてみたいという人たちがいる。チャットGPTを使って、タイピングをした文書をプリントアウトして送れば、それだけで形にはなるのかもしれないが、やはり今、自分の中で自分の心の内や、ここ数年で起こった事象の変遷などを伝えるには、一人ひとりに対しての気持ちを吹き入れるためにも、心を込めた手書きの手紙でなければならないと思っている。そんなことだから、自分の筆が進まなくなってしまっているのは事実だし、この手紙を書くということそのもののプランが、白紙になってしまいそうだ。

言の葉。「事の端」が語源だった。自分の言いたい事、思いや想い。それを形成している現在の心の端っこを伝える。今、自分が書いているブログの記事であれ、一つ一つの文字の中に、主張したいことや、心の中を彷徨っている見えざるものを表現しようとして文字を配置させている。これが、誰かの心の中に共鳴して欲しいと思っている。シェアするという気持ちは、苦しみや喜びを分かち合うという事だ。だから、人間だけが持つ複雑な心情の変化を共有するという事を大切にしなければならない。暗い冬の浪人時代、とにかく文章を書くということを真剣に考えていた。それがいかに厳しいことか、今でも痛感している。そして、そのような苦しみの果てに、一つの生きる新しい回路を見つけられるのか不安になる。でも、書かなければ見つからないものは、一体何なのかという気持ちは絶えない。言葉を通して心を見つけ出すというのは、本当に厳しいことなのだ。

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