思考力

熊を見ない鶏

昨日から今日にかけても、私の部屋の中の体感温度は低く、もはや何度体位を変えようと、寒さから逃れることはできなかった。その間に見た夢は、熊だったかマントヒヒに追いかけられるリアルな夢で、夢占いによれば、動物に追われる夢というのは、いい夢ではないらしい。熊に関しては、誰かから干渉を受けていて、それをストレスに感じているという意味合いが込められているそうだ。昨日も、部屋から一歩も出ない「ヤドカリ」状態だったけど、誰からも干渉された試しもない。所詮、夢占いなどは、プラスの方向へ向かう暗示の時にだけ信じておけばいい。

それにしても寒い。ただ、この寒さは、私だけではないようで、実際一歩外へ出てみたり、部屋を開けて換気してみても、かなり強烈な冷えた風が吹いている。これで、どこかの会社に「干渉」されていようものなら、それこそ一歩も外へ出たくない気持ちで一杯になることであろう。私が、社会不適合者になったのを、いつと定めるのかは不明となってきているが、とりあえず生きていれば時間は過ぎていくわけで、その時間を強制的に追われるような動きをするのではなく、自分の浮き沈みのフィーリングの中で呼吸をしていたいものだ。それを批判される筋合いはないし、そんな批判をしてくるような者の「干渉」をうける必要もない。

前回変更した眠剤が、少々強かったのか、残眠感がある。ただ、少々頑張って起き上がり、歯磨きをしてコーヒーをすすれば、なんてことはない気持ちの良い朝に変わる。そんな毎日を過ごしていれば、幸せというのは、ごくごく身近に創り出せることを知る。確かに、いまだに自分に危害を与えた者への執着や怨霊のような怨念が、頭から離れなくなることも多いが、長い時間を経ていれば、それを上手いことスルリスルリと交わせる術も身につけられるかもしれない。どこかの寺に修行に行っても、教会で牧師さんのお話を聞いても、やはり自分の中で見つけた考えの中に解決の糸口や、苦しみを薄める景気というのがあると信じたい。実際に、こうやってキーボードを弾いている時の幸せは、何物にも替えがたいし、この幸せは、ずっとブログを書き続けていた継続から生まれたものだ。昨日今日で受け取れる産物ではない。

鶏のように温めた卵から新しい生命の息吹が誕生するように、やはり時間をかけて熟成した自分の能力の中に継続という力を込めれば、ほとんどの場合、自分の中に秘められた自分でも気づかなかった強い力を発見し、それを発揮できるのだろうと思う。寝てみる夢に一喜一憂することなく、果てして今はどこの可能性が伸びているのか、目を閉じて考えることが、やはりとても大切なのではないだろうか。

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