思考力

沈まない

コルセット生活は、障害続くことになったようだ。もし、それから逃れたいのであれば、もう手術しかないようである。そんなことを医者から言われた昨日、さすがに自分の中での足かせが増えてしまったことを悩み、久しぶりに海岸へと足を運んでみた。今の車を手に入れてから、何気にまだ遠くへと行っていなかったため、そんなドライブも兼ねて、一年以上ぶりに海を感じたかった。

海岸へ着くと、それほど大きな感動もなく、海をじっと眺めていても湧き上がる感情だったり、癒されるような感覚もなかった。ただ、少し車を移動させ、テトラポッドの方へ歩いてみると、サーファーが波に乗っていたり、次の波が来るのを待ち構えたりしていた。波のコンディションは良くなる一方で、こんなときに波乗りができたらどんなに快適だろうかと感じていた。

砂浜に降り、砂を踏みしめる。ズボッと足が埋まり、足取りは重くなりながらも、スッと心が軽くなる。気持ちが晴れやかに変化していき、浜辺に打ち付けるショアブレイクに足を入れてみた。確かに波にはパワーがあり、確かに引き波の力は強かった。そのまま海に入りたいという気持ちが湧き上がりつつも、腰をガッチリと固めているコルセットの感触がとても憎らしく思えた。

サンダルの底に砂が入り込んでしまい、それを流すためにトイレへ行く。そこまでの潮風が気持ちいい。ちょうど車に積んであった簡易チェアに腰を下ろすと、やはり照りつける太陽と少し重い潮風が、そっと顔を包んでいた。海辺でストレッチをしているサーファー。海から上がってウェットスーツ を脱いでいるサーファー。談笑しているサーファー。どれも自分がかつて自然にできていたことを、当たり前のようにやっている。羨望とか嫉妬という言葉ではないのだけれど、コルセットを巻きながら景色を眺めるだけになってしまった自分にとっては、とても「もったいない」という気持ちばかりが先行していた。

帰りには温泉施設でリラックスしようとした。サウナで整えば、何かしらの自律神経に良い影響があるはず。ただ、確かに気持ち良かったとはいえ、それは体感する気持ちよさであり、心の中からは相変わらず強いトラウマが渦巻いてしまっていた。ここまで鮮明に過去に囚われてしまうのだから、自分が当時どれだけ苦しい気持ちに耐えていたのかとか、どうしてその場で対処できなかったのかという後悔の気持ちが浮かんでくることも確かだった。辛い記憶というのは、なかなか消えることはなく、反芻すればするほど脳裏に強く焼き付いてしまうということは、知識としては分かっていても、思い出さないようにすることなど本能に抗うようなものなので、私には到底不可能であると思っている。

こんな状態では、明日の東京受診の際の早起きなどできるわけもないので、もう家を出て一泊してしまおうと思っている。先日の大雨で、私の利用する電車の線路も被害を受け、当分復旧しないようだし、早め早めに体だけでも移動させてしまった方がいいと思う。少なくとも家でじっとしていてはダメだ。体が動かない状態では、心も動くことはない。それを肯定することは、現場においては正しいという認識でいよう。埋もれてはいけないのだ。

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