思考力

減る札

年が明けた。世間は何かしらの参拝をして、いつも通りの願い事というか、誓いの言葉や願掛けをしに神社へ行くことだろうが、私は全く変わらず、カタカタとMacのキーボードを弾いている。世間では、年明け最初を超サザエさんブルーというか、とんでもない鬱屈とした気持ちで迎えるのであろうが、私は全く変わらず、起きた時間が朝という自由な生活をするだけ。ただ、誰とも交流がないことも確かなこと。だからと言って、誰かのために今のフリーな時間に負い目を感じたくはないし、自分以外の誰かにこれ以上邪魔されたくはない。

大晦日から元旦にかけて、全く知らない女性とサーフィンをする夢を見た。服用している薬の都合上、夢を見ない日という夜が皆無に近く、昨晩からの夢は、中途覚醒の時点で夢だと認知しつつ、また眠りに落ちても同じような夢に落ちるので、なかなか嬉しい夢でもあった。色彩豊かで、南国特有のキラキラした海だった。これが初夢になるのか、明日にかけてが初夢なのか、明後日が初夢になるのかは諸説あるが、とりあえず悪い夢でなかったのだから問題なかろう。

昨年末は、少し刺激を入れようと思ったばかりに、自滅してしまう事が起きた。詳細を書く事は避けるが、大晦日付近で起こった悪い出来事という意味においては、過激なアクシデントだと思っていたのだが、昨年一番悪かった事は、やはり単独自転車事故で瀕死の状態に陥ったという事なので、年納めに最悪なこととはいえないと思うようにする。やはり、生死を彷徨ったという点において、自分自身の「これから」を深く考えるようになり、行動や考え方を含めた様々な点が、一気に老け込んでしまったように思っている。

今年、新しい出会いはあるのだろうか。それこそ、南国の海でサーフィンをできるような女性に出会えたら最高であろう。でも、頭蓋骨を骨折し、その部分が完全に密着するまでは、年単位の時間がかかり、それまでは頭を打ったら何の保証もできないと医者から言われている。海でボードが跳ね返ってきたら、とんでもないことになる。そうなると、スケボーは。自転車競技は。他のスポーツは。やはり、本当に体のことを優先させた時に、自分の切り札が次第に無くなってしまっていることに気づく。

何やら、年明け早々、暗い話題になってしまいそうだ。ただ、年が変わっても生活様式など変わらぬ生活。一連の年の流れや変化に心を入れ替える必要もなかろう。ゆっくりと呼吸をして寝ていたい。そして、眠ってしまえばラッキーだ。そんな怠惰とも取れる生活を切に望む新年の幕開けであった。

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