思考力

歌手ノ絵空事

今朝は寝過ぎたせいか、起き上がるとクラクラする頭を抑えるようにしてコーヒーを淹れた記憶がある。そのままパソコンを開いてブログを作成したので、今朝のことは特段書かなくても問題なかろう。その時に書いたのかも知れないが、明日の東京の病院の受診の予約時間に間に合うかということや、書き損ねてしまうかも知れないから「フライングブログ」を書いておくようなことを記していたと思う。最後の最後に、「一人カラオケ」に行くことで記事を締めた記憶もあるが、改めて朝書いた文章を読み返そうと思う気力がなくなるほど、その後のカラオケで疲弊してしまった。

昼は、あら汁が無料で食べ放題というシステムの回転寿司屋で昼食をとりつつ、何やらムカムカする胃袋に違和感を感じた。それは、ストレス性過食真っ只中の状態にある、今の自分が食べてしまった、昨日の焼き鳥と、他に何を食べたのかも思い出せぬ過食の残り物が、腹に溜まっていたから生じた不快感なのだろう。その後、予告通りカラオケに行き、やはり引き続き、歌いながらでも、腹の不快感は拭えなかった。

こんな体調のまま歌うことで、音程を外すことにはならなかったが、前回ボロボロと泣きじゃくってしまった歌で、全く何も感じず、ただただバンドグループが、ライブ会場で派手に歌っているノリの良い曲だと感じるだけであった。こう考えると、人間の心というのは、毎回毎回、同じ曲で感動したり、悲哀を感じたりすることはないようで、その時の体調や、そこから引き起こされる精神状態の芯の揺れ方で、感情が変化するものだと知った。これは、大袈裟なものではなく、人間にとっての「真理」であり、感動するドラマであっても、その時の心のバロメーターが、対象に向かって無関心の様子なのであれば、心の琴線というのは、同じような振動を感じることはないということなのだ。これは、人間なら、ほとんど全員が体験したことがあると思う。

そういえば、朝書いたブログでは、これほどかという程、ドラム洗濯機を褒め称えていたが、やはり、そのことには変わりはなかったようで、ヘトヘトになって、部屋の扉を開けると、シッカリと洗濯が終わっていた。これからの時代、全てが自動化されたのであれば、人間の労力が、違う方向へ、強く素早く動いていくことになる。今や、コンピューターが自動で文章を作れるようになり、シンギュラリティーも現実化してくるのは目に見えている。この信じられぬスピードで変化する”AI”の流れに、自分は対処できるのだろうか。この程度のブログであれば、コンピューターとおしゃべりをしていれば、勝手に内容まで改訂して書いてくれるはずだ。まさに、今日のドラム洗濯機の話に繋がった訳なのだが、自分が忘れている間に、コンピューターや機械が、人間に恩恵をもたらせてくれて、いつの間にか、自分の出した指令を忘れていることも多くなってくるのだろう。

今日、初ミクがライブ会場で唄うという映像に合わせて歌ったのだが、現実には存在しない画像に対して、人間がサイリウムを熱狂して振っているのだ。最前列に写っていたのは外国人だったので、海外のライブ映像だったのかも知れないが、ひとつの映像の中の歌う女の子に、人間が夢中になっている。この「熱狂」「夢中」という漢字の表現からも分かるように、人間が、機械から生み出された架空の対象物に飲み込まれてしまうことは、やはり必然になるのだと思う。そんなことを考えて、歌い終えた自分は、ゾッとする以外なかった。

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