思考力

突き抜ける雲もない、朝

早ければ、明日。遅くとも、明後日。やっと保護費が入ってくる。どれだけ待ちわびたことか。信じられぬほど嫌いだった高校の卒業を、指折り数えていた時の次くらいに嬉しい。さすがにそれは言い過ぎかも知れないが、直近の数年で言えば、これ以上待ちわびたことはないはずだとも思う。天気は快晴。雲ひとつない突き抜けるような青空。カラッとした天候に、爽やかな朝。これ以上望むことはない朝だとも言える。コーヒーが無いなどという細かなことを差っ引いたとしても、とんでもなく幸せな朝だ。

ここ数日の絶不調の朝と対比させると、今日のご機嫌は貴重。私の「気分不安定病」の波が、上昇しているのかも知れないが、こんな天気なのであれば、誰だって気分は軽快になるのではなかろうか。私の場合、やはり、まとまったお金が入るということが大きな要因だが、気分が心地いいことに変わりはない。こんなにも長く今日の快適な朝を褒め称える記事を書いたこともないはずだ。

これ以上は望めないほどの朝だから、これでこのブログを終了させてもいいのだが、それはそれで問題があるので、何かについて書かなければならない。私は、オンライン予備校代表として、開業届を税務署に提出しているので、大まかに言えば、社長という肩書を得ていることとなる。もちろん、売り上げは、Googleアドセンスの広告収益だけなので、全く会社として成り立ってはいない。ただ、とりあえずの肩書はあるのだから、それを名乗ることは問題なかろう。やはり、私は、オンライン予備校の社長なのだ。

人生において、収入の面に関しては「負け組」に分類されるのかも知れないが、何を持って勝ちと負けを決めるのかは、その人の価値観で次第であり、そこに優劣をつけるのも、本人の自由なのだ。さんざん称賛した今日の爽やかな朝であっても、鬱屈とした気持ちでいる人ならば、何も感じないだろうし、パワハラやイジメを受けている人から見たら、むしろ憎らしいくらい普通の朝なのかも知れない。さらに、引きこもりの人たちの多くは、昼夜逆転している人も多いのだから、この爽やかな朝ですら何も感じないかも知れない。

だから、何をもってして幸せを感じられるかというのかは、やはり自分の心持ちと、周囲の環境次第であり、今の私の心の状況が不安定ならば、やはり今日の快晴に対しては、無感動であるはずだ。どんな人にも苦しい時期というのはあり、「前向きに」とか「ポジティブシンキングで」などの言葉は、軽率に遣える言葉ではないということが、今日の朝を振り返ってわかる。

ただ、このような他者の立場で物事を考えられる記事を書ける余裕があるのも、自分が心身ともにリラックスできているからであり、そのことそのものには、やはり感謝の気持ちしかないと思っている。本当に優しい気持ちというのは、同情から生まれるのではなく、自分の内面が綺麗になった上での同感から生まれるのではないだろうか。そんなことを考えた今朝の快晴の朝であった。

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