思考力

未来に手作業を残す

ここのところの「スケボー改造」の日々は、もはや職業の領域を超え、「職人」の範疇まで達しているようだ。どれもこれも、個性豊かな相棒に仕上がってきているし、一本仕上げたら、アパートの前の道路で試乗するから、もはや近所の人の中でも「変人扱い」になっているのかも知れない。実際、このアパートに引っ越してきたての頃は、毎日スケボーで滑走していたので、近所の人も微笑ましくしてくれ、自分も積極的に挨拶をしていたのだが、経済的な理由で、全てのスケボーを売却し、膝腰を痛めて、板の上に乗っかるという行為ができなかったので、私が「変人」であることが、忘れ去られている節もあったみたいだった。

とは言え、毎日毎日、滑ってはアパートに戻りを繰り返していれば、近所の人から「最近またやり始めたの?」とか、「上手くなりましたね」などの温かいお言葉をいただけるようにもなった。そうすれば、自分の中での承認欲求も爆上がりして、どんどん板が「変態」と化していく。とは言え、物理的なモノを不器用な自分が組み立てているのだから、当然ムリがたたり、今日はビスが穴に入る途中でポッキリと折れてしまった。ペンチで回しても動かず、潤滑液をつけたらもっと掴めなくもなり、ネットで調べると、それなりの工具があれば、この局面は切開けそうだったので、ホームセンターへ行って、該当部品の修理の相談をした。すると、新しい工具を買わずとも、手持ちの工具であっさりとネジが外れた。今後のことも考えて、電動ドリルの先を購入したのだが、それは日本規格のサイズで、アメリカのインチには対応していないものだった。その意味においては、銭失いをした。

結局、カスタムに熱中しすぎて、実際に海へ行って試乗していない。これは、まさに本末転倒ともいえるが、今は走る喜びよりも、組み立てている間に、この板が理想の弧を描くかどうかばかりに気が入ってしまい、何時間も走るということからは、興味が薄れていってしまったとも言える。明日あたりは、実際に海辺の駐車場にて、仕立て上げた相棒たちを暴走させてみようと思っている。やはり、馬であれ、毛並みを整えてもらうばかりではなく、実際に走らせてもらったほうが喜ぶのと同じ理屈だ。

さすがに、ここまでカスタムをしていると、部屋が散らかり始めている。結構重い部品が、何度もフローリングの床に落っこちてしまい、傷がついたり穴が空いたりしないか心配だったが、今のところ修理費用を捻出しなければならないような傷はできていない。そして、なかなか馬が合わなかった「ルンバ」との関係も良好で、前夜に出してしまったカスタムのゴミやチリを、朝の爽やかな時間に自動で掃除してくれる頼もしい相棒になってくれた。

自分の中で、今は大きな不満はない。そう考えていたら、今日はフラッシュバックそのものが出てこなかったことを思い出した。よく、病院のリハビリ室なんかで、手作業をしながら回復を図るようなレクリエーション的治療法もあるが、まさに、今の自分にとって、この細かな作業は、精神的な安らぎになっている。これを、どこまでキープできるのかは全くわからないけれども、いつか大きく落ち込んでしまったときに、スケノーのパーツの組み合わせに夢中になって、嫌な記憶が消え去ったということを思い出せば、なかなか良い治療回復法になるのかも知れない。そんな平和な考えが頭によぎった。そして、この考えは、今仰向けになって寝転んでいるカスタム中の三本の板を見ていると、大きく間違っていることはないと思えた。

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