思考力

ライトグレー

愛車に相棒を数台乗せて、海沿いへ急ぐ。久しぶりに、本格的な「板乗り」ができる。一本ずつ試乗し、カスタムした板を、駐車場にズラリと並べて、ローテーションを組んで走っていれば、アパートの出入りよりもよっぽど楽チンに、板の感触を確かめることができる。予想以上に出来上がった板は、思いの外無くて、もっとキレのある板だと思っていたのが、あまり急な弧を描かなかったり、そのまた逆も然りだった。YouTubeで、サーフスケートを研究している海外の人がいて、とりあえずスポンサー契約などはしていないので、いろいろなブランドの板を乗り比べている人がいる。推定60代半ばで、板が折れてしまうのではと心配になるほどのウェイトだ。このような人が、地球のどこかに生息しているのならば、自分も「サムライ版サーフスケート研究家」にでもなりたいと思ってしまう。

リラックスしている自分。少し前までは、強いフラッシュバックと、底無しの焦燥感に苛まれ、自分の生き方に自信が持てなかった。このままずっと苦しい記憶ばかりに掴み潰されて、もはや心から楽しい気持ちなど湧いてこないのではないかと思ってしまっていた。でも、地球上のどこかは必ず晴れであり、心のどこかしらも、必ず「晴れ」の部分があるのだ。そして、その部分が光り出す時を、じっと待ち続けることが大切。言うなれば、ふてくされていて何もかもを自暴自棄に考えて行動することは、人生の無駄使いに他ならない。

部屋が、少しだけ賑やかになってきた。どんどんシンプルにしていった部屋だけれども、とてもワンルームだとは言えないようなスペースがあり、大袈裟だけれども、これでは真のミニマリストになってしまうかも知れないというほどだった。そんな余剰の床面積に、多少のインテリアを置くようになり、通称「人をダメにするソファー」と言われているビーズクッションに座って、YouTubeを眺めていれば、自分はなんて贅沢な時間を過ごしているのかと気分も良くなってくる。決して、贅沢な生活をしているわけではないけれども、心の中の豊さは、しっかりと身についているようだ。

もちろん、世界中のどこかは、必ず「雨」でもあり、自分の心にも、地雷の部分があったり、触れられたら数ヶ月は立ち直れないようなトラウマだってある。そんな日が続いてしまうことが来るのを、自分は本当に恐れている。物事には、必ず二面性というものがあり、その二面性のうち、片面だけを頑なに守ろうとすれば、自分が一体何にしがみ付いているのかも分からなくなってしまうことも多い。だから、自分にとっての考え方というのは、ポジティブな部分を大切にしつつも、裏には「闇」の部分も内含しているという意識を常に持っていなければならない。

四輪で進む板の上に乗る。ある部品が、別の部品と調和しようとするときに、信じられない加速をする時もあるし、それが思いっきりハズレだったりする。でも、大抵は、「こんなものか」という冷めた感情になってしまうことが多い。そのようなときに、裏と表の間の中間点を、いかに楽しむかということも、とても大切なのではないかとも思う。そして、その停滞期のような時期にも喜びを抱けるようになったのであれば、それは自分の人生に強く効能があるカンフル剤となるであろう。

-思考力