思考力

文字を重ねる

 

今日で、2日目。母が他界してから、何かが大きく変わるわけでもないが、やはり、時折くる大きな「凹み」の波が、私の涙腺を強く刺激することもある。最近続いている真夏日のせいなのか、精神的ダメージのためか、目眩のような感覚というか、朝礼の時によく倒れていた経験がある私が、倒れる前に危険を察知する時の妙な「真空状態」に入ることがある。気持ちの整理はついていないはずなのだが、すでに結末は変わらなかったわけで、大きく動揺することはないにせよ、身体は正直に反応しているようだ。つまり、心と身体のシンクロ率が悪すぎるのだ。

今の土地へ越してから、ずっと行きつけている床屋がある。寡黙な店主だったので、自分も取り立てて愛想を良くしていた訳でもなかったのだが、いつしか、この地で心を許せる、ほんの僅かな希少な人となっていて、一番世間話を聞いてくれる、ある意味では、私の千葉での生活を一番よく知っている人となっていた。そして、いつもはカットのみの依頼で、お財布のダメージを軽減していたのだが、これから、母の葬儀などで身なりを整えるためにも、今日だけは「フルケア」でお願いした。とはいえ、金額は「3300円」。倹約するほどでもない金額で、さらに長く話を聞いてもらえるわけだから、今後もそのようなフルケアも悪くない。

店主には、母が亡くなったことは、最後に言うつもりだった。それは、最初に言ってしまえば、会話にも顔剃りにもならぬほど、モロに取り乱してしまうことが明らかだったから。ただ、いつものような世間話をしていても、やはり何だか胸につっかえるモノがあり、顔を剃る直前には、例の「朝礼の倒れる前」の苦しさになってしまった。後に店主に聞くと、いきなり喋らなくなったから、何かが起こっていることには察しがついていたと言う。店主は、65歳くらいだったか。まだコロナのワクチンが接種出来ていないのだから、国レベルで見てもそこまで高齢の分類に入らないはず。でも、私より遥かに年齢は上である。ただ、私が千葉に来てからのことで、店の定休日以外が休みだったときの理由を訊いたときに、「母が他界しました」と言っていたことはよく覚えている。そこの点においては、かなり近い時間で、「母ロス」をしていたことになる。

昨日に続き、今日も「下書き」を用意していない。昨日のツイッターでも呟いたことなのだが、「雑記ブログを書かない」という宣言を見事に破っている。ただ、今の時期に、世間のニュース報道をネタにして記事を書いたところで、同じような記事しか出来上がらないであろうし、昨日は、夜中に坊さんの「説法」を聞きながら床についたので、オススメ動画にも、違う話題の深刻な悩み相談が続いているはず。まぁ、そんな終わりのない深い悲しみの動画のタイトルとサムネイルを繋ぎ合わせて、自分の心の動き方を書き綴るのも悪くはない。後に、そんな日が実際にやってくるのは目に見えてはいるが。

昨日は、やはり胸が騒ぎ、なかなか眠ることに集中できなかった。これまた、昨日のツイッターでの呟きをなぞることになるが、4月あたりから苦しめられていた、謎の「寒気」から解放された。暑くて眠れない。電子黒板を書斎に置いたので、コアラマットレスを置く場所がなくなり、畳部屋にマットレスを敷くという、一見風変わりな中で寝ているのだが、その部屋にはエアコンがない。だから、書斎に続く襖を開けて、涼しい風を送り込むような形で眠った。もし、「虫の知らせ」で、私の身体に寒気がまとわりついていたのであれば、かなり長い間、母の死の虫の知らせは届いていたのだ。

とはいえ、そこまで非科学的なこともないようで、やはり明け方は寒気がひどく、コットンの厚いネルシャツの上に、ワークマンの厚手のパーカーを羽織るという防寒ぶり。やはり、どう考えても異常だ。医者の言う通り、なんらかの精神薬の「禁断症状」に他ならない。ここまでくると、今年の夏がどんなに酷暑であっても、私の周りだけは「冷夏」。怖いのは、今年のクリスマスあたりに、とんでもない「寒波」が来る事は避けられない。それまでには、この寒さをどうにかしなければならない。

今、このブログを更新して終わりにしようかと思ったし、それはそれで良いのかもしれないけど、まだ“1600文字”程度しかかけていないので、続きを書こう。今日は何をしたのか、よく思い出せない。これは、母の死がキッカケという訳ではなく、ここ何ヶ月もの症状である。連日波乗りに行っていたが、その回数をカウントしていたわけでもないし、会社員のころのように、ビッシリと予定が書き込まれていた手帳と睨めっこをしているわけでもない。だから、曜日感覚はもちろん、日付感覚も、月感覚もない。信じられないかもしれないが、起きた瞬間に、今が「春夏秋冬」のどこに位置しているのかさえ分からなくなっているときもある。もしかすると、これが原因で、身体も「体温調整機能」が破壊されているのかもしれない。脳と身体が一致していない。

今の段階で、大体ではあるが、いつもの“2000文字”という枠を超えた。ここまで書いたついでに、さらに文字数を重ねていこう。ここまで、一粒の涙も出ていないから問題なかろう。このMacを置いている机に、先ほどまでは、多くの写真が積み重なっていた。「遺影」を探していたのだ。サササッと、目視して、あっさりと決まった。お墓参りの時の写真に決めた。中央に私が立ち、両サイドを両親が囲んでいる。母の顔も穏やかだ。普通の人であっても、お墓参りのときに、激しく怒っている人もいないわけで、どんな人であれ、ご先祖様のお墓の前では、穏やかになる。普段から穏やかな性格だった母であれば、尚更である。

幼少期からずっと、母は多忙だった。とにかく、働いているところしか見ていなかった。それを邪魔してはならないと思って、学校などで酷く辛いことがあっても、母には決して悟られてはならないという義務感でいっぱいだった。そんな母は、とにかく物を捨てられない性格で、そのくせ、安い物があったら、その時の衝動で「爆買い」をする人だった。今思い出しても「異常」。千葉に引越してきてからも、ドライブついでに「100円ショップ」に行こうものなら、山ほど折り紙やノート、文房具を衝動買いする。それをくまなく使っているのであればまだしも、病院の送り迎えのときに、施設の部屋では、山のように買った物が、開封されることもなく、値札が付いたまま放置されているだけ。これには、よくお説教をしたものだ。

こうなってくると、とんでもないことも起こってくる。私が実家で見つけたミカン箱のような3個の箱には、ゲームセンターの「チュッパチャップスすくい取りゲーム機」に詰められている飴の如く、信じられない枚数の写真が詰まっていた。アイドルオタクでも青ざめるほどの数多くの写真写真写真。全てが「昭和」の香り。もしくは、ギリギリ「平成」時代のモノ。3つに分けられた箱のそれぞれは、「兄」「私」「妹」の分類で、写真が山になっていた。なるほど、反抗期になった子供たちが、写真を嫌がるあたりでコレクションがストップしたというわけだ。

いつだったか、このミカン箱の写真を、まさしく「断腸の思い」で断捨離した記憶がある。ビリビリに破いても個人情報垂れ流しになると思い、手動のシュレッダーで切り刻んだと思う。それにしても凄い量だった。千葉に来て、やっと人並みか、それ以下になった写真の中から選んだ「遺影」なので、この忙しい最中、断捨離をしなくて済んだので、その点においては安心している。また、「リベ大 両学長」の言葉ではないが、「思い出は心の中にしまっておく」ということで、残される道を辿るしかない写真も、そろそろ処分しようかと思っていたところだった。よく遊びに来ていた、二番目の甥っ子と嬉しそうに肩を並べる母の写真も、この際だから、甥っ子に渡そうと思う。

さて、取り乱さずに書いたブログも、“3333文字”を超えた。これ以上書くと、なかなか止まらなくなりそうだ。今月いっぱいは「雑記ブログ」になるのかもしれないし、今年いっぱいになるのかもしれない。ただ、どこかで切り替えなければならないということも分かっている。ただ、悲しみにくれる際に、文章で自分を省みることも大切だと思っている。

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