思考力

シロクマ天気予報

寒い。このように「寒さ」で起きると、今年の春に「白熊」状態だったことを想い出す。ゴールデンウィークあたりまで、寝る時にはダウンジャケットを着なければ、朝、寒て寒くて目が覚めてしまう状態だった。コレは異常。内科の主治医に聞いて、血液検査の結果も異常がないことから、精神の薬からくるのもではないかということで、精神科の主治医に相談した。精神科の主治医の診断では、変更した薬による「禁断症状」ではないかということで、とりあえず着地点にたどり着いたこととなった。

ただ、その変更した薬を抜いたところで寒気が収まらず、私なりのアイディアで、漢方薬なんかでどうにかならないものかという意見を出したのだが、それが採用されつつ、見事に功を奏し、とりあえず「白熊」から、ニンゲンに戻れたのだ。ただ、今が夏で暑い日々なので、今年の冬に実際に寒くなれば、およをマンモスのようにカチカチになって、何千年後かに発掘されるかもしれない。まぁ、そんなシャレを言っていられるのだから、昨日今日の寒さの原因は、大雨による気温の急激な低下によるモノだと分かった。

地元で唯一の話し相手の床屋の店主に、寒くないかを尋ね、今日は、20度半ば程度しか気温が上がらないということを聞き、自分だけではない寒さなのだと安堵した。最近は、お天気アプリも見ていない。ただただ意識が行ってしまう、ある会社とのコミュニケーションツールの“LINE Works”の通知に気を取られるばかりだった。やはり、セッカチな性格もあれば、人一倍の心配性ということで、変な責任感を感じてしまうこともあり、未読の通知が溜まっていると、それが大きなストレスとなっていた。

ただ、そのような私の考えとは裏腹に、同じように、そのような通知の積み重なりにストレスを感じている人は、今のところ1人もおらず、むしろ、そこからコラボレーションや、斬新なアイディアが生まれるということもあるそうで、そのグループからは、外されてしまった。実質、仕事が消えたようなモノである。ただ、その会社が和気あいあいと仕事をして、ただのマッチングで、生徒と講師を結びつけ、その中間マージンを抜き取るようなことはしたくないと思うコンセプトは、とても大切にしてもらいたいと思う。

これから多様化する働き方の中、いろいろな会社、そして個々人が、多様な生き方をする中で、自分のスタイルや価値観が相違しているのであれば、そこからピュアな気持ちで離れていくことが大切になってくる。変な同情や、見当違いな憎しみを抱きながら、その共同体に属していれば、その個人も、集団も台無しにしてしまう。だから、時の流れの中で出会うべき人とは、必ず再会することは確かなことだと信じ、それぞれの検討を讃え、尊重し合い、生きていくことが大切なのだと想う。そのような考えを大切にすることは、今の時代に限らず、今までも大切にしなければならなかったのだ。

自分の周りにいる「5人」の平均が自分の能力だという説もあるが、私は、今までの人生を振り返ると、何か変なところで寂しい気持ちに取り憑かれ、何となく違うという気持ちを抑えつつ、あまり得るものがない誰かとつるんでいた。ただ、千葉に来て、組織から離れ、個人として生きている現在、とても清々しい気持ちで生きられている。私が本当に求めていた生き方というのは、いかにして誰かと一緒にられる状態を探すのではなく、それとは真逆の方向にある、いかに独りの状態をキープできるかということにあったのだ。

ただ、そのような一匹狼のような生き方を望んでいつつも、何やら誰かに賞賛されたいという気持ちも強く、私は、謙虚の塊であった母と、見栄っ張りの塊であった父から受け継いだ、本当にハイブリッドなニンゲンになったと思っている。幼い頃は、このような引き裂かれるような性格と生き方に、息苦しさしか感じなかったが、40も半ばに差しかかった私は人生は、現在、最も活き活きとしていられているような気がする。

コロナ禍で、誰もが独りを余儀なくされている中、私とて例外ではなく、独りを余儀なくされて得た。それは、快感をもたらせた結果となったのだから、今の自分の人生の中で、世界中で起こっている混乱というのが、私にとっては、プラスの状況で活きているのだ。このような表現は、毎回のことで申し訳なく、とても不謹慎なことではあるが、未曾有の大惨事の中で得るプラスの恩恵が、私の場合は多かった。影響力などゼロに等しい私の文章に語弊があったとしても、何処ぞのYouTuberのような大炎上にはならないし、事実、コロナ禍で有利な状態を掴み取った人たちだって多いはず。

これは、一個人の感想や失言ではなく、実際にコロナ禍で、被害を受けているばかりではない人がいるという“fact”を述べただけ。それを、批判されたり、非難されたり、まして否定される筋合いもなかろう。では、このようなシチュエーションの中で、自分のできる具体的なことは何かと自問し、久しぶりに、英検の問題でも解いてみようと思い、画面をスクショし、Apple Pencilでなぞりながら解いてみた。級は、準一級。なかなか苦戦しつつ、やはり解きにくい問題が多い。結果は、講師としては、あるまじき点数。大学受験の講師なのであれば、普通に9割は取れなければならない。しかし、全く届かなかった。

ただ、再び解き直してみると、やはり英検の長文問題は、とても質が良いと分かる。問題の構成ももちろんだが、扱われている長文の素材が、実に素晴らしい。準一級レベルになると、平和な文章ばかりではなく、むしろ、けっこうダークな文章が多い。今回の長文問題も、やはり歴史的な流れの中、マフィアが、農村を襲うという問題などのテーマが、時間的通時法で書かれた論理的な文章であり、とても読み応えがあり、十分に手応えのある文章であっった。

さらに面白い文章もあり、何と、「白熊」の文章が出題されていたのだ。もちろん、ポーラーベアーではない、私にとっての「白熊問題」である。ハーブの薬、いわば東洋の薬に対しての過去の批判的な見解が、今ではかなり見直されていて、たしかに緊急時には、従来のクスリが必要だが、実際には両者を上手く使い分けることが大切だということが結論の文章だった。

このように考えると、日頃から問題意識を持ち、さらに、それを踏まえた上で読む文章であれば、読解をするときのスピードも深さも、圧倒的に違うということだ。知識背景があるかないかは、英語ばかりではなく、全ての学問において、とても大切なことである。学ぶということは、とても面白い。追求すればするほど、全くもって逆説的に、分からないことが増えてくる。それの事実に対して、より前向きになれる者は、より一歩前へ進むことができる。逆に考えれば、学ぶことを止めようとする者うは、立ち止まるどころか、後退するわけであり、さらに、そのことにすら気づかないのであれば、あとは、砂漠の砂に埋もれていくように朽ちていく。

ただ、今の私は、もう少し、最近のニュースには目を向けておかねばならない。明日、やっと新居に光回線が導入されるので、1日前乗りで、愛機MacBookくんが、新居に入って居る。ここ数週間は、「雑記ブログ」に近い文章を書いていたが、それもなかなか悪くなかった。ただ、次の日の天気と、気温くらい知っておかなければ、無駄なシロクマに怯えることになってしまう。やはり、天気の状態には、気をつけようと思う。

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