思考力

新しく枯れる

最近、フッと「あの快感」を思い出す。孤独な人間を、音と光で祝福してくれる、あの「777」。その依存性は強烈で、もはやいったんでもその魔力に魅せられてしまったのであれば、そこから逃れることは、ほとほと不可能だ。依存グループの会であっても、ギャンブルに対しては、立ち向かうのではなく、自分たちはギャンブルに対して「無力」であることを認めることを近いの言葉の中に入れているくらいだ。最近の刺激の少ない日々の中で、そんな一時期熱狂したギャンブルに行きたいという衝動が、首をもたげ、YouTubeのオススメ動画には、パチンコのサムネイル がずらりと並ぶようにもなってしまった。

酒も、タバコも、女遊びも止め、それらのリバウンドに駆られることももはやなくなったとはいえ、ギャンブルに関してだけは、根強く自分の中で「しこり」のような塊を残して自分の心の傷となって残ってしまっている。これを完全に切除する術があるとするのならば、賭博場を一切禁止する法案を作り上げることくらいしかない。でも、今の日本のギャンブルに規制がかかりつつも、やはり抜け穴も多く、さらには「カジノ法案」でさえ、突き進んでいる状態。もはや、ギャンブラーとしての過去の傷というのを癒し切るのは、自分には不可能であり、いかに自分を律して生きていくかというのが、重要となる。

トイレの観葉植物が枯れてしまった。活き活きとしていた育ち方だったというのに、数日で一気に枯れてしまった。専門店に持っていくと、観葉植物というのは、いずれにしてもトイレのような気温が定まらないようなところや日の当たらない寒いところは不向きだということだった。自分が、観葉植物をトイレに置いたのは、風水的な観点からだったのだが、それも叶わず、代替え案として提示されたのは、造花を飾るということだった。でも、玄関同様、トイレにも正気のないドライフラワーのようなものを飾るのはよくないと思っているので、今回はパスした。その代わり、同じ大きさのハンギングの鉢に入る小さな植物を買った。

自分の生きがいは、YouTube閲覧である。もはや、モニターを通してテレビを見た記憶もなくなっていて、ビジネスホテルに泊まっても、テレビのリモコンを触ったりもしない。一度、リモコン操作をしようとしたのだが、どのようにボタンを押せば、どのチャンネルがつくのかとか、いきなり新聞のテレビ欄の画面が表示されて、どれを押せば何が観られるのかが分からなかった。我慢してみていたといえど、肝心の番組そのものが面白くなかったので、そのまま消してしまって、スマホでYouTubeを閲覧していたくらいだ。もはや、自分にとって、テレビの民放は不要ということになる。

明後日は、粗大ゴミの日。今考えているのは、スノコ二枚と、大きめの箱を処分しようと思っている。もしかすると、値段がつくかも知れないので、リサイクルショップに査定してもらおうかと思っているが、二束三文くらいにしかならないのは分かっているから、処理をする手間が省けるという気持ちだけでも良いから、持って行ってみようと思う。ここ数日で、かなり部屋が広くなった。ふるさと納税の返礼品を置く場所を確保するために、多くのスペースを用意した結果だ。新旧入り乱れるのではなく、新しく来る物に優先権を与えたい。そうすることで、運気が上がるはず。観葉植物が悪い運気を吸い取ってかれたのであれば、これから運気は上昇すると信じて良いのだと思いたい。

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