思考力

色彩に感謝する

「一富士二鷹三茄子」と言われているが、昨日から大晦日にかけての夢は、真っ赤な鯛を釣り上げる夢だった。桟橋から息絶えた数匹の黒鯛がプカプカと浮かんでいて、そこの間のスリットに仕掛けを落とし込んだら、見事に鯛が釣れたのだ。この夢は、かなりレアだと言えるのだが、良し悪しとしてはいかがなものなのだろうか。富士山も、鷹も、茄子も出てこなかったから、吉夢ではないのかもしれないけれども、そもそも初夢ではないのだから、あまり深刻に受け止める必要もないのかもしれない。

まどろんで、二度寝をしていると、再度夢の中に入り、何故かお亡くなりになった師匠の教会へと電話をしていて、師匠の名前が出てこなくて慌てふためいた夢だった。「お墓におかえりになりました」と電話口の女性に言われ、そのことはしっかり理解しているのだから、なぜ改めて電話をしたのかは、理解できない。もちろん、夢の中で理路整然とした現実味を帯びたことはできないし、そんな世界は、夢ともいえない乾びた世界となってしまうので、自分の脳のどこかの「ゴミ箱」にスクラップされてしまうのだろう。

とても気持ちの良い微睡の中、このままウツラウツラできる幸せを味わいたかったのだが、突然、玄関チャイムが鳴り、これまた忘れていた、ふるさと納税の返礼品が届き、中身は、スーパーで買っても千円程度のナッツだった。納税した金額と、受け取った返礼品を比較してはならないと思うのだが、この何物にも変えがたい、朝の至福を壊されたくはなかった。その配達物の封筒には、水滴がついており、天気は雨。気温も低い。今、窓を開けて空気を入れ換えているが、ピリリとした風が入ってくる。今日は、路面も濡れているので、自宅で最後の最後の追い込みとして、掃除をしつつ、これ以上は望めない部屋の整理整頓をして、新年を迎えようと思う。

アップルウォッチの睡眠アプリを見れば、夜中に覚醒している時間が目立ち、それも1時間程度うろうろしていることになるような計測結果が出ている。確かに、今の薬の調節の弱点は、意識のない時間で奇怪な動きをすることのようだが、夢遊病の如く外出したり、ましてや牛丼を食いに行って、再度頭蓋骨を骨折したいなんて思わない。あの時は、本当に不幸中の幸いとして、骨折の亀裂の角度が命に関わる曲がり方ではなかったのだから、仮に、二回目を経験してしまうのであれば、どんな角度に亀裂が入ってしまうのかは、想像するだけでも恐ろしいものだ。

今日で今年が終わり、明日で新年が始まる。万年正月の自分にとって、この暦の移り変わりは、何を意味するのだろうか。今、ふと思い出したのだが、今年は、財布を落としてからのスタートだった。財布ごと無くすとは、自分の愚かさを新年早々、自己嫌悪に陥ってしまったのだが、それでも交番にはしっかり戻っていて、自分の物として、リスタートすることができた。今日の夢が一体何を意味しているのかはわからないのだけれども、良いことが起こるのであれば、自分の中の後付けとして、真っ赤な鯛と、忘れられない師匠の夢を思い出し、感謝したいと思っている。

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