思考力

毎日Jazzを聴くために

iPadで適当なヒーリング音楽、例えば、瞑想や集中力を上げる音楽だったり、カフェで流れるリラックスジャズやバサノヴァだったりを選択する。ブログを書くときは、それらの決まったBGMを流している。ごく稀に、音楽をセットしないで書き始めていることもあるので、いったん集中モードに突入してしまえば、BGMの選出は、それほど重要な儀式でもなさそうだ。今日は、昼の12時に目が覚めた。リビングには、コテコテの脂ぎった弁当と、脂質糖質たっぷりのスナックとチョコレートが転がっている。やはり、眠れずに焦ってコンビニに行って、それらを貪り食って「眠りの促進」をしたようだ。

それが、何時の出来事であったのかを知るために、鞄や財布の中にあるはずのレシートを探したのだが、あいにく行方不明。きちんと支出管理していて、食生活にも気を遣っているのだが、やはり最近の原因不明の「寒気」が深刻で、幸せな朝をスタートすることができていない。やっとのことでカラダを起こせば、軽く昼を回っている。軽快な朝食用の音楽をBGMにしたら、やたらとピアノの音が耳障りで、いつもの「ボサノヴァ」に切り替えた。いかにも中学校の音楽の先生が、盛り上がらない授業をアップテンポにするために弾くピアノ音。夜食の罪悪感に包まれている、今の私には、一つ一つの音符に合わせた教科書通りのピアノの音は、とてもツライ。やはり、このような時間にも「ボサノヴァ」は、最適だ。

毎度の如く、ブログの出だしが、私の「睡眠負債日記」になっているが、もうそのスタイルが定番化しているので、読者の方々は、それをご承知の上で愛読していただきたい。かつて、私が仕事もろくにせず、ゴキブリが出てくるようなBARに入り浸っていた時期があった。今考えると、時間と金をドブに捨てたようなものだ。“カネ”に関しては、親のスネからかじり出たものとはいえ、わざわざ酔っ払いのオヤジに絡まれて、その鬱憤を晴らす為に、次にあった時に、そのオヤジが二度と忘れられないような「爆雷」を落とし、土下座させたこともあったような店。酒が一滴も呑めない冴えないマスターが切り盛りしている「脱税」丸出しの経営をしているような場所だった。

そこにタムロしているような連中に、やはりロクなヤツはいない。そうなってくると、私の中学時代の「ロクデナシ」のもと同級生を紹介すると、初登場でも即座に、店の常連となる。よくわかっていない聞きかじった「政治」の話。頼まれもしない「日本の未来」の有難い危惧の討論。呆れるほどどうでも良い「芸能人のスキャンダル」。こう思い返すと、昼夜逆転していた頃の無駄な時間を限りなく惜しむ気持ちが止まらない。まぁ、その元同級生の末路が「生活保護」というゴールだったので、なるほど、日本経済の心配より、日本の「ナマポ」制度のお勉強が必要だったのだろう。お気の毒に。

そんな冴えない“BAR”のマスターが店で流している音楽は、なかなかのセンスがある“Jazz”であった。音源は、CDではなく「レコード」で音を出していた。その点に関しては、高く評価している。ゴキブリが這っている、本来なら保健所から指導を受けなければならない店に、渋く並んでいるレコードには、なかなかの趣があった。「Jazzの魅力は何ですか」と訊いたときに、「好きなときに好きな奏者が自由に音を出せるところだよ」と言ったことは印象深く記憶に残っている。それは、自分の音楽の感性に響くものがあって、決まり切った楽譜から出てくるサウンドよりも、縛られていないサウンドの方が、自分には合っているのだろうと今でも感じさせてくれるセリフでもある。そのボロイ店で得た事といえば、その程度だが、なかなか悪くないJazzの魅力の表現だと感じる。

さてさて、私の授業の「ウリ」である、完全アドリブ授業の「出たとこ勝負」が、最近ではブログでも顕著に現れてくるようになった。これは、良いことなのか悪いことなのか判らぬが、Twitterの反応が多少良くなっているので、クオリティーアップしたのだと思おう。今後も、このようなアドリブ文章で始まり、必ず「Core」がある文章を創作する。毎回、手書きの原稿を下書きとして用意しているので、決して「雑記ブログ」のような曖昧な文章で終わることはない。こう考えると、私は「社説」を書くことに向いているのかもしれない。「天声人語」の連載依頼でも来ないだろうか。気長に待っていよう。

今日は、いつもより部屋に入ってくる風が強い。バインダーに挟んだ手書きの原稿が、大きく踊る回数が多い。耐えられぬ程では決してないが、半袖でパソコンのキーボードを弾いていると、多少の肌寒さはある。ただ、日中は「半袖」でも問題ないというのに、夜間は「ダウンジャケット」を着なければならぬほどの寒さを感じる。昨日、かかりつけの千葉の病院で、膝のヒアルロン酸の注射をしてもらい、採血結果を診てもらったが、肝臓の数値以外は全て問題なし。顔見知りの酒店もなければ、杯を傾け合う気の合う友人もいないので、晩酌をする機会などもない。そもそも「酒」を呑んでしまったら、酒が抜け切るまで運転ができなくなるのは当然。外房での「車移動」は、都会の「二足歩行」と同じだ。だから、「肝臓に優しい町」とも言える。

体温を上げると健康になるという書籍が話題となっている。今すぐ体温を上げることを推奨していて、36度以下の低体温が、最も「コロ助」に感染しやすいようだ。人混みとは無縁の千葉外房にいるので、感染リスクは低い。とはいえ、おそらくこの「寒気」の原因は、前回の「心の波」を穏やかにする薬を変更したことによるものだと思われるので、次回“東京SHIBUYA”へ出撃するときに、低体温でコロ助に感染しないように気を張っておかなければならない。それでなければ、前回、何のために薬を変更してもらったのかが判らなくなるし、この寒気の原因が何なのかを診てもらう意味もなくなってしまう。血液検査で肉体的異常がないことが分かったのであれば、精神的な「自律神経」がブッ壊れていることが「寒気」に起因しているはず。マスク完全フル装備、病的潔癖症のごとく消毒を欠かさず、“SHIBUYA”へ向かうこととする。

それにしても、毎晩毎晩、教養のあるYouTubeチャンネルを視聴していると、自分がいかに不健康な生活を送っていたかが分かる。また、まるで日本という国そのものが、確信的犯行で「毒」を垂れ流しにしているような考え方になってしまう。昨晩、日付またぎで平らげた食べ物は、食べ物ならぬ「化け物」と言えるほど、全て身体に悪いモノ。科学的に考えると、正しい知識を持っていれば、日常生活に潜んでいる身の回りには「毒」で溢れかえっている。「知は力なり」であり、「健康は富に勝る」。どんな人であっても健康に代る富はなく、正しい知識を伴う自己防衛策は、必要不可欠だ。

実は「食べ物」ではない「化け物」。その典型は「マーガリン」で、それは「トランス脂肪酸」のカタマリであることが判明し、アメリカでは既に法で規制されている。日本では、「マーガリン」に対する規制などはないが、「大麻」は厳しく規制されている。しかしながら、アメリカの一部の州では「合法化」されている。コロコロと規制の基準が変化しつつ、新型コロナウィルスの決定的な打開策が出てきていない。ただ、マーガリンの規制の順番であっても大麻のそれであっても、アメリカの柔軟性を考えれば、「コロ助」の解決は、明らかにアメリカの方が早そうだ。コロ助が落ち着いたら、日本から入ってくる人間は「規制」されてしまうかもしれない。

日常生活で身体中に炎症を引き起こすような危険なモノが分かったのであれば、それを積極的に避けることが大切であることは言うまでもない。危険かどうかの判断は、やはり先述したように「正しい知識」。さらに「最新データ」が必要だ。では、そのような正しい最新知識を得るためには、いかなる方法を取れば良いのだろうか。私に限らず、現代における全ての人類にとって、その方法というのは「インターネット」以外ないのではないだろうか。「以外ない」という断定的な表現をしたことには裏付けがある。手作業でやっていたことが、綿織物と蒸気機関に代替された。電気と石油が大量生産を可能にした。コンピューターが単純作業を自動化した。AI・IoTが高度な知的活動を担い「始めている」から。言い方を変えると、今まさに第四次産業革命が「起こりつつある」ということだ。

 

AIが、ますます人間の仕事を代替していき、今ある職業の多くが「食いっぱぐれ」の危機に瀕する。ITの中で円滑に仕事を進める上で必要な、最低限の知識や用語を知らないのであれば、現場から弾き出されてしまう。先述した流れを理解してくれれば、お気づきの通り、認めたくなくても認めざるを得ない「第四次産業革命」の流れに抗うことはできないのだ。固定電話が携帯電話になって驚くようなことが、これから当たり前のように、猛烈なスピードで次々と起こってくる。

ベンツを所有することに価値がないどころか、車を所有していることそのものが「情弱」と言われる時代が、すぐそこのところまで来ている。月額課金した無人タクシーをアプリで呼び出して車内で居眠りして、目が覚めたら目的地。自動車関係の仕事をしている人には申し訳ないが、そんな時代が、すぐそこまで来ていると言うのは、決して過言ではない。これを夢の世界だと鼻で笑っているのであれば、それは個人の価値観なのだから構わない。しかし、少なくとも私は、そんなタクシーを呼び出す時のアプリの使い方に悪戦苦闘するような生活は送りたくない。あくまでも「利用する側」でいなければならないと思っている。

家族や友人の金融知識をアップさせるために開設された「リベラルアーツ大学 両学長」の動画。12時間前の予告なしの「ゲリラライブ」の雑談30分間の動画の視聴回数が13万回再生。闇営業やスキャンダルで「干された」芸能人がYouTubeで再着火。大学受験英語のYouTube動画では、生徒と「♡な関係」になった予備校講師の解説講義がバズり気味。予備校業界の熾烈な足の引っ張り合いは有名だが、それが「インターネット」上で行われる時代。しかも、そんな状態を、校舎ではなく自宅のパソコンから「無料」で閲覧できる時代。90分の授業の為に、雨にも風にも負けずに校舎へ通いながら、講師間のケンカや訴訟があれば、「クダラナイカラヤメロ」と言うわけにもいかなかった世代の私から観れば、とんでもなく便利な時代になった。信じられない“ワンダーランド”としか言いようがない。

自分の分からない部分だけを、10分程度のコンパクトな動画で、超一流予備校講師人が、ピンポイントで解説してくれる。カリスマ予備校講師の授業であっても、「だから?」とツッコミを入れたくなるライブの授業もあったが、仮にそんな部分があったとしても、編集してカットしてしまえば全くムダが無い。板書している無音区間は、ジャンプカットか早送りで編集されており、動画を2倍速で視聴すれば、半分の授業時間で、効率的に正しい知識を吸収できてしまう。こう考えると、千葉でボロ雑巾のように扱われたブラック企業の塾が、古ぼけた看板を下ろす日が来るのは明らか。変な正義感で続けないで、容赦無く脱出できた自分を称賛する以外ない。

何気に「5300文字」を超えたブログを書いた。苦痛を感じるどころか、爽快感であふれている。これを毎日継続することに苦痛を感じるようであれば、ブログを続けることはできない。それならば、違う分野で自分の存在をアピールすべきだ。「労働収益型」ではなく「仕組み構築型」のストックビジネスを、今や、どんな人であっても「無料」で作り上げることができる。自分のプラットホームを作り、そこから自分の発信力を高められる時代だ。そこを切り口に動いていかなければ、高速で変化する時代に埋没しても、叫び声すら届かない「奈落の底」へと叩き落とされてしまう。

昨晩の自責の念に駆られる「お菓子の残骸」はチャラにして、青空の下で、スケボーを蹴ってこよう。スケジュール手帳には、17時から打ち合わせがある程度。明日は、楽しみにしている「オンライン授業」。もっと良い授業にしたいから、ホワイトボードを追加で買いに行こうか。その購入経費は、思考力養成予備校の「赤字3年繰越」で埋め合わせる。金融リテラシーを上げておけば、そんな仕事道具の出費が大したことないと判る。良い仕事をすることで、「信用貯金」を貯めることができて、多くの仕事が舞い込んで来れば、ホワイトボードの一枚二枚など、経費にするどころか「自腹」でも良いのかもしれない。ただ、誰にとっても「1万円」は「1万円」。固定費は、「一円単位」で見直す。本当の金持ちは「ケチ」。そうでなければ「金持ち」のポジションをキープすることはできない。そういった観点から、私は、正しい知識を持つ「ドケチな金持ち」を目指している。

 

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