思考力

悪夢の時間を区切る表現

枯れた花を見つけ、その場面の様子を、その場に居なかった相手にどのように伝えるか。これは、枯れた花の様子やシチュエーションを、語り手の主観を取り入れつつ、それでいて客観的な様子も交えながら、表情や身振り手振り、そして、文字として伝えるならば、聞き手が受け取り易い言語などで自分の表現を選び出す必要がある。できるだけ分かり易く相手に、たとえシンプルな状況の説明であったとしても、意図的であれ、無意識であれ、正確に相手に状況を伝えられなければならない。そして、相手の想像力や感性により、伝わり方は変わるもので、言葉のレトリックを駆使して、場面の状況を効果的に伝えることとなる。

 

もちろん、花が枯れている様子を伝えるくらいでであれば、難しいことは気にせず、端的に説明すれば良いだけの話であるが、これを強く相手に伝える為には、やはり言葉を上手く「レトリック」して伝えることが必要。例えば、「自分は悲しいと感じたのだけれでも、花に生起がなく萎れていて、それを見つけた時に花の命の儚さも伝わってきたよ」と伝えれば、自分の気持ちを秘めつつ、花の様子が悲惨な状態であることを、相手の心に印象的に残す事ができる。

このように言葉の表現を巧みに扱うことで、目に見える状況や対象を、言葉によって説明するときに役立ちことは勿論、何より、自分の「心の様子」をできるだけ印象的に相手の心に伝えることもできる。ある事象に対して生じた「喜怒哀楽」。それによって影響を受けた自分の行動に対に繋がる気分の起伏の描写の伝え方は、しっかりと鍛えておくべきだ。自分の心の様子を上手く表現できていない現代人が溢れている。伝達手段が、LINEに代表されるチャット形式となり、言葉のやり取りのキャッチボールが容易になったことで、リアルに対面した時の話し言葉の語彙が、極めて貧困で、尚且つ薄っぺらい会話にしかなっていない。

文章にせよ、日常会話にせよ、はたまた大勢の前のスピーチにせよ、自分の気持ちを他者に伝えるためには、必ず言葉が必要であり、人間だけが遣う言葉という伝達ツールを遣いこなせないというのは、明らかに自身を不利な状況に追い込むこととなる。やはり、日頃から自分の気持ちを表現する際には、様々な言い換え表現や美辞術を遣いこなしつつ、自分の気持ちを正確に陳述する術を身につけるべきだ。そうすることで、相手は、自分の存在を強く認識できるようになり、今後のコミュニケーションも極めて滑らかなものとなる。

日本人は、相手を敬う文化が根付いている為、それが良い方向へ進むこともあれば、逆の場合もある。何かの商談であれば、相手の機嫌を損ねないように丁寧な言葉遣いを意識する事が最優先され、その商談を進めるにあたって肝となる「自分の心のあり方」を伝える事が疎かになっているケースが多々ある。とはいえ、このように偉そうに文章を書いている私であっても、実際に対面して話をする時には、心理的に緊張するあまり、言葉に詰まる事が多々あるので、強く言い張ることはできないが、少なくとも、文章で落ち着いて文章を創り上げる際には、言葉の表現構築に気を遣い、できるだけ読者の心に印象的に伝わるように努めている。

人間の感情というのは、必ず、ある原因から生じる。この事実を認め、ある心理状態が生まれ出た原因を明確にし、それに付随して生じた心の変異を相手に伝える時には、言葉によって、自己表現する能力を養う必要がある。これは、後天的に鍛えることも十分可能であり、肉体的弱肉強食ではなく、理性をもつ人間が、言葉で意思疎通をするという無限の可能性を秘めた手段で、感情を表出する恩恵を積極的に行うべきだ。

現在、コロナ禍で世界は混乱の渦中にある。このカオスの中で、短絡的思考を起こすことなく正確に自分の心理状況を伝え、相互理解を深めながら、解決の方向へ協力して進んで行かなければならない。ワクチンや治療薬の早期開発も、とても大切なことである。ただ、それと同じくらい大切なことは、この類稀な難儀の時代を振り返り、このような不安と恐怖が渦巻く難題解決の時を「区切られた悪夢の時間だった」と世界中でシェアできる喜びの言葉を探す豊かな時間を期待し、各個々人の意識を高めることだと、私はおもっている。

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