思考力

三本の弦

思い入れのあるクラスでは、必ず最後の授業でする「ある音楽家」の話を紹介しよう。

かつて、偉大なバイオリニスト「パガニーニ」という人物がいた。音楽に対しての才能は、他に類を見ないもので、音楽に魂を売ったかのような人物だった。ただ、私生活は乱れており「酒・ギャンブル・女性関係」ではトラブル続き。そんな彼が、借金を返せないという理由で、2年間の投獄生活を余儀なくされた。そこで、どういうわけか全く分からないのだが、彼は3本しか弦のない古いバイオリンを手に入れた。そのバイオリンで、絶えず練習することが、彼にとっての唯一の時間潰しだった。

そして、彼が釈放され、再びステージで観衆の前に立ったとき、彼は未だかつて誰も発揮したことのない、激烈さと完璧さをもって演奏した。その類稀なる妙技は、聴衆を魅了した。難曲の演奏の真最中に、パガニーニのバイオリンの弦が一本切れる。プツーンと。それでも、彼は終わりまで完璧に演奏しきったのだ。

確かに、投獄は、彼にとってこの上ない失望感を与えた。しかし、それに対する彼の反応は、消極的ではなく、むしろ積極的だった。人間は、身体があり、心があり、時間が流れている。そのような中で、どんな人であっても、必然的に苦しみや困難にぶち当たる。ただ、そこで挫折したり、尻込みをする必要など全くない。

足かせをつけてもダンスを学ぶことができる。牢獄の壁に囲まれていても歌うことを学ぶことだってできる。もし、挫折が不可避な場合は、忍耐強く待ち、その耐えている時にこそ自分が成長しているのだと認識すること。人生は苦しい時が登り坂。そして、時には喜びを持って、それを受け入れる術を学ぶべき。

そうすることで、自分と誰かを比べて、「あの子かわいいな」「あいつイケメンだな」とか、「金持ってるな」とか、「頭がいいな」とか…。そうやって、自分と誰かを比較して「羨ましいな」と思うことが、いかに愚かなことなのかということがわかる時が来る。特に、誠実に生きている人は、そのような事態に遭遇することが多い。ただ、そこで耐えることで、人の痛みが分かる、器の広い、優しい人間になれる。別に、今までの授業で、ただ、アルファベットが並んでいるだけだとしか分からなかったとしてもそれでいい。この最後に話したバイオリニストの話を、人生のどこかで思い出してくれたのであればそれで僕は満足です。

この話をすると、ほとんどの教え子の目が輝く。合否ではない。人として、極めて本質的な話を聞けたと思ってくれているのだと思う。このバイオリニストの話は、実は、私が浪人生の時に受け取った、心から尊敬する講師のテキストに書かれていた話だ。何度も何度も読み返し、一字一句ほとんど暗記していたような時期もあった。時が経ち、そのテキストもどこかに消えてしまったが、この話のあらすじは、鮮明に憶えている。そして、上記の「激烈さ」「類まれな」「妙技」などの素晴らしい表現は、記憶から褪せることがない。だから、最後の授業でも、このような透明感のある響きの言葉が、流れるように出てくるし、今、このように書いているときでさえ、キーボードを弾く指は、軽快に動いている。

言葉のもつ力。そして、表現によって、人の魂を強く揺さぶることができる話ができる。そして何よりも、一年弱程度の付き合いであっても、真剣に向き合い、共に学び合った「同志」として通じる心があれば、このような美しいエピソードに胸を打たれるのだ。私は、この話をして授業を終えられると、心底ホッとすることができる。この話で綺麗に幕を閉じることができたのであれば、そのクラスの教え子の次のステージの幕が、確実に開かれたと確信できるからだ。

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