思考力

怠惰になる影

午前3時頃だろうか。いつ眠ったのだかも、果たして薬を飲んだのかどうかも分からぬ状態で、この記事を書いている。少し前に、同じアパートの大工の親方が、車を出して出勤していた。親方と言うと、何やら私と同じか、もう少し上の年齢を考えそうだが、彼はまだ30歳。先日までは、20代だ。そんな年齢とはいえ、この夜明け前にシッカリと起きて、毎日、いろいろな現場へ向かうのだから見上げたものだ。私には到底できない。こうやって、金にもならぬ駄文を綴りながら、早く次の眠気が来ないかと、コーヒーも飲まずにカタカタとキーボードを弾いている。

すでに振り分けておいた資源ゴミを、昨日の夜の段階で出し、先日クリーニングに出したカーテンを、昨日の仕上がり日の段階で引き取り、今日やるべき仕事が終わっているので、正直なところ、私の今日の仕事は、昨日の時点ですでに終わっている。すると、今日は、コアラのように眠るのが仕事ということになってしまうのだが、やはりオーストラリアとは真逆の今の日本は、冬の季節。最近、悪寒戦慄だったか戦慄悪寒だったか分からぬ症状が出た寒がりの私にとっては、寒くて寒くて、この寒さの中では快眠とはいかない。エアコンの真下で眠っていても寒く、寝相が悪いので、シュラフから脱出し、ブランケットも抱き枕も、遠くへ投げ飛ばされている。挙げ句の果てには、自分の身体そのものが、床を背にして180度回転しているのだから、もはや一年中快眠というわけにはいかないようである。

やはり、頭を強打して、重傷を負った時から、何やら一気に考え方が前向きではなくなったというか、老け込んでしまった。観たくはないサーフィンの動画を観ていれば、よくもまあ、こんな冬の時期に海に突っ込んでいたものかと思うし、よくもまあ、1人で車を運転して千葉まで来ていたのだろうかと皮肉な感じで感心してしまう。後悔するわけでは決してないのだが、もっと違う方向に力を注いでいれば、もう少し違った何かが身についていたのではないかと思ってしまうこともある。

孤独というのは、ひどく健康に悪影響を及ぼすらしい。そうかといって、無理に人と交流をとろうとして、ことごとく失敗してきた私なのだから、それこそ無理に誰かと一緒になることの方が、よっぽど身体への負担が大きくなってしまう。かれこれずっと、自分に危害を与えたニンゲンに対して、怒りが爆発しそうになるし、もっといえば、怒りが爆発しているのに、それが本人たちに届いていない怒りともどかしさに苦しんでいる。それが、自分の心を、より一層暗くさせる。

まだ、日は昇っていない。このブログを書き切っても、まだ真っ暗な様子だ。こうやって、暗闇の中で文章を組み立てていることを誰も知らないし、徐々に覚醒してくる多くの人たちが仕事をしているときに、また床に入ろう。規律を守って働きに行くことが善で、私のような生き方が怠惰なのか。気づけば、今年も残り2週間しかない。今までの人生で、年賀状を書くのが億劫だった年はないのだが、今年ばかりは全く気乗りがしない。やはり、今年受けた大怪我は、私の人生に深い影を落としてしまったのだ。

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