思考力

引いてみる

なかなか面倒くさいことになった。先日、東京へ行った際に、スマホのバッテリーが異様に早く消耗してしまい、携帯用の充電器を繋ぐハメになった。今考えると、この時点で私のスマホは悲鳴を上げていたようで、そのまま東京へ行った時には、スマホの充電は切れて、完全にブラックアウトの状態。千葉へ帰る時には、暇つぶしの決定的アイテムであるスマホがない状態で、帰路に着いたのだった。そのまま家の充電器に差し込んで、私のスマホは回復する予定だった。

ここでアクシデントが起こることになる。スマホは充電されず、ブラックアウトの状態が続く。差し込み口の確認やコンセントの入り具合をチェックしても、電源が入る様子はない。最悪の事態の最終点検は、最寄りの店頭に行って調べてもらうのみとなった。そして現代人の死刑宣告でもあるスマホのご臨終を告げられてしまったのだ。画面のブラックアウトを見ながら、自分の顔もドヨーンと暗がりに満ちてしまった気持ちだった。

自称アップル信者である私のiPadとMacに、クラウド上にiPhoneのデータが残っているはずだと祈っているのだが、あいにく確認しようとも新しい機種が手に入らなければ判別できない。財布に穴が空いている私の経済状況で、新しいiPhoneを購入できるわけがない。48回払いの分割購入であれ、今の私には、到底ムリな注文だ。しかも、私のiPhoneには、モバイルSuicaも内蔵されているので、その残高も無効になるかもしれないのだから、こんな状況になったのであれば、私の生活は行き詰まりである。あと5日間を、150円で凌がなければならない。これは、どう考えても無理な注文というものだ。

iPhoneブラックアウトの日は、ちょうどアート展に行った日なのだが、その疲れが一日飛び越えたようで、二日日の今日、ドッと疲労が押し寄せ、ぐっすりと眠り、今日は、すっきりと起きた。青空の快晴。心地の良い気温。それならば、現代人の必須アイテム無しで過ごすのも悪くないのかも知れない。手持ち無沙汰に困る生活だって、スマホが定着する十年ほど前であれば当たり前のことであったわけだし、ガラケー時代の過ごし方、いや、もっと前の固定電話の時代に戻るのも一興だ。

窮地から這い上がるのではなく、少し自分を休めてあげる。確かに、最近の自分は十分に休息をしていて、充電期間な訳だけれども、実際、精神的に休まっているとは思えず、むしろ何やらソワソワとした心の状態であった。今一度、少々の気持ちを休める時間を大切にして、ブラックアウトした気持ちを回復させてあげようと思う。

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