思考力

繊細とズボラの間の1つの椅子

 

やはり、物事というのは順調に進むこともないようだ。昨日はブックカフェに7時間ほど入り浸って作業をしていたので、疲れ切った脳ミソも溶けるように夢の中へとへ入っていくかと思いきや、なかなかそうでもなかった。寝落ちは悪く、結局のところ、現在夜中の1時である。私の中に抱いていた理想では、ぐっすり眠ってカーテンを開けると爽やかな朝陽が部屋へ差し込むのことだったのだが、現実は甘くない。影響力のある人がやっている脳ミソの使い方と休め方や、1日のルーティンワークも、私のような不眠症患者には難しいのかもしれない。もちろんこれは、決して甘えではない。

インフルエンサーたちが、仕事で最高のパフォーマンスを発揮するために行っている体調管理は、眠剤を服用して毎日を組み立てている私にとっては、非常に難しい。ただ、そのような難しいことをやってのけるからこそ、一流の人は一流でいられるのであり、他者の共感を得られるような結果を出せるのだ。頑張らず、努力もしないところに注目は集まらないし、努力していることを隠すような生き方をしているからこそ「影響力」というのは、きっと高まり、拡がっていくはずなのだ。

ここのところ、ブックカフェで、大量の本を読んだ。これでもかと言わんばかりに読み、その本のエキスを絞り出すように読む。人の目が気になって仕方がない繊細な著者であっても、書籍を執筆する上では覚醒状態にあるわけで、仮にその本の筆者がHSPの症状を持つ繊細な人であれ、その人の意見を思う存分に知ることができる。だから、本を読むという行為そのものは、繊細さんであれ、ズボラさんであれ、同じ土俵に立って物事を語ることができるステージなのだ。

この日本という国では、資本主義という概念で動いているのだが、高齢化社会という観点からも分かるように、もはや、どんどん衰退していくこの国が再建することは困難なようで、「老後の資金は年金に頼らず自分で用意しなさい」という気持ちを暗に表明した、非課税枠のインデックス投資を勧めている。

この暗黙のメッセージを理解できず、なるようになるさと言って気楽に構えていると、地獄へ向かっているだけ。知は力なり。知を獲得し吸収するための努力は決して怠ってはいけないのだ。誰でもできる努力を怠っているだけで、自分は繊細だからと言っているばかりでは、その人の人生が好転することはない、この世の中が、実はファンタジーでフィクションの世界なのであれば、思い切った動きもできるのかもしれないが、そう思い込むことはなかなか難しい。

自分の手で自分の人生を見捨てて生きられないのだから、せめてズボラな人に搾取されないようにしなければならない。良い表現ではないことはわかっているが、人生の椅子取りゲームで、他人の目を気にしすぎるような生き方では、抜群な人生は当然迎えられないのである。

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