思考力

安楽生存治療

カーテンを開けると、駐車場の車の半分が、そうは言っても3台だが、どこかへ出発していた。日差しは強く、外気温は危険なほど高い。こんな高温の日曜日に、どこへ出かけたのだろう。まぁ、私が会社員だったら、やはり車のエアコンをキンキンにして、どこか避暑地へ行っていたのかも知れない。今というか、一年以上も車を所有していない千葉での生活で、もはやそれも日常となったところで、今更ながら車でどうのこうのという計画は立てようがない。

腰は、相変わらず痛んでおり、果たしてこれがいつまで継続するのやら不安になる。例えば、泥酔してグラングランになって、この酔いが覚め、再び元に戻るのだろうかと恐怖を感じるような状態だ。もちろんアルコールがない意識がはっきりとした状態で感じる痛みと恐怖だから、この動くことさえ困難になった腰の鋭痛の消去がいつ完成するのかを不安に思うのは、仕方のないことなのだと思う他はない。やはり、患部が体全体を支え、バランスを整える部分なだけに、そこの故障の痛手というのは、本当に不便である。

こんな「危険な」という形容詞に修飾された暑さの中、仮に人目の付かないところで腰から崩れ落ちて動けなくなったのであれば、それは確実に致命傷を受けるわけで、やはり今日も部屋で安静にしているばかりだ。少なくとも、部屋にいるだけであれば、エアコンが壊れない限り十分安全なスペースは確保できる。最近のプラス思考で言えば、何かスピリチュアル的な現象が、自分の行動を抑制しているのだと信じようと思う。オカルト的なことばかり考えているのではなく、引き寄せの法則とか、風水的な考え方というのは、日本人に馴染み深いものになっているようだし、そこに良い意味での影響を受けるのであれば、それはそれで享受しても問題はあるまい。

大手ピザ屋のデリバリーキャンペーンも今日で終わりだ。こんな酷暑の夏、思い出が暑さと腰痛だけだったというのも悲しいので、今回5回目くらいの利用となるピザデリバリーでも注文しようか。7月も明日で終わり、8月も記録しか残らないような暑さの1ヶ月になるだろう。それならばやはり、この腰痛の治療と向き合うにはとてもいい時期だったと言えるのではないだろうか。そう思う以外安楽できる余地もないのだから。

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