思考力

異質な時間の経過

ぎっくり腰と言うには、あまりにも痛みが強い。人生の中で、何回かぎっくり腰は経験しているが、痛みの強弱は引っこ抜いた状態で、痛みの「質」というものが違う気がする。例えば、捻挫の痛みと擦り傷の痛みが違うように、今の腰痛は、何やらそのような「異質」な感覚がある。原因は、ほぼ間違いなく、瞑想の時に使用していた椅子が適当でないまま座り続けたからであり、これが積み重なって根本的な腰の形そのものが変形して生じた痛みなのであれば、打開策というか治療法というのは、異なったものになってしまうのかも知れない。

今朝も祈りを込めてベッドから立ち上がろうとしたのだが、まともに立ち上がれるような状態ではなかった。こんな酷暑の中、わざわざ外出する気にもなれないが、まともに歩行できないとなると、夏を謳歌できない気持ちになってしまい、とても損をした気持ちにもなってしまう。例えるなら、みんなが楽しそうにガヤガヤ騒いでいるのに、自分だけが正体不明の腹痛に苛まれている状態とでも言おうか。居なくなってその人の貴重さが分かるとも言われるが、身体の一部分が使えなくなると、今までその部分にいかに依存していたのかが分かる。

腰という部位は、身体を支えるという点に関しては最重要箇所であり、ここが復活する見通しが立たないということは、実に不安な生活となる。さらに、腰という部分を治療しているというのは、視覚的に判断してもらえないし、痛みの強度を上手く伝えられないから、なかなか周囲の同情をもらえない。そう考えてみると、深いうつ病で苦しんでいるのに、周囲からの援助など全くもって得られない苦しみに似ている側面がある。両方とも、とてもツライ。痛みを共感してもらえないというのは仕方ないが、そのような痛みもあるという認知は欲しいところだ。

とはいえ、歯茎の火傷も回復し、ほぼほぼ問題なく完治しそうだ。人間の自然治癒力というのは、驚異的である。ただ、捻挫というのは骨折よりも治りにくいと言われるのは、中途半端に患部が動くようになるから、勝手な判断で治療をやめて無理をしてしまうことから治りにくくなてしまう。この災害級の酷暑の中、やはりスピリチュアルなメッセージとして自分を労ってあげるよう指示が出ていると捉え、十分な休息を維持していたいものである。

-思考力