思考力

外界を整える呼吸

朝、ボサノヴァを聞きながら、ブログを書く。バサノヴァ。このブログを始めた当初、この手の音楽をBGMにして、記事を作成したことを思い出す。やはり、激しい洋楽だったり、哀愁に満ちた洋楽、トランスミュージックなどを聴きながらの執筆活動というのは難しく、常に体をリラックスさせておかなければ、いい文章というのは書けないようだ。霧雨で湿度が高い朝の駐車場で歯磨きをして、淹れ他コーヒーを飲む。こんなにも身近なところで、とても小さいながらも、掛け替えのない幸せを見つけられる。ここにお金は、全く必要がない。

昨晩、寝る前に、10分間の瞑想を行った。YouTubeで検索してヒットした、適当な瞑想を再生してみたのだけれど、ただ声の指示通りに身体の力を抜きつつ、呼吸に神経を送る。これが手間で、なかなか時間が過ぎない。とりあえず十分の制限時間を設けているので、それに従うまでだと思いつつ行った瞑想なのだが、やり終えた後の落ち着きというのは何とも替え難く、寝床に横になるなり、すぐに眠ってしまった。今まで、眠れなくてイライラしていた自分が、全くの嘘のようにアッサリと眠りにつくことができた。

精神的な落ち着きを得られる。深く眠った後に、爽やかな朝を迎える。そして、そんな好循環を得るのに、全くカネがかからない。こんなに素晴らしいこともない。欲望に塗れて、ただただ見栄のためだけに、物質的な物を求めるのではなく、内なる自分を見つめるる、それを手名付けるかの如く、精神を安定させる。明らかに生産性の高い生き方だ。生産性というと表現が違うのかもしれないが、心を整えていられるということは、人生の帆を進めるにおいて、とても有意義なことは間違いない。

昨晩は、瞑想の前に、断捨離を行った。まだまだ捨てられる物は多いとは言え、今回は、細々とした物を中心に捨てた。やはり、今まで自分の心の中で迷いが生じてしまうような物を処分してしまえば、起きた時に気持ちが良いばかりではなく、もはや兄をゴミ袋に入れて捨てたのかさえ思い出せない。捨ててしまったものなど、きっと、ただ単に自分の心の迷いを助長していたに過ぎないモノだったのだろう。この調子で、引越し前までには、身体一つとスーツケース程度の持ち物で移動したい気分になる。

人間の脳というのは、あまりにも細々とした事を考え始めると、確実に判断力を失ってしまう。それならば、集中力を上げるために、選択肢を少なくしてやればいい。そうする事で、正しい選択肢を見出せるばかりか、仮に自分の選んだ選択肢が間違っていたとしても、自分のなかで納得させられる術を見つけ出せるはずである。そのような場合に備えて、いや、いつでもシンプルに物事を決断できる状態を作れるように、今朝のようなそれぞれの区画をキチンと整理できる習慣を身につけておきたいと思う。

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