思考力

昭和勢の心のカラクリを知る

何やら、変な体質になってしまった。寝ている間は、寒いから上下厚手のスエットで眠り、日中は、半袖・8分丈ジーンズに、日除けキャップ。そんな体内温度調節が故障した身体で、今年初のエアコンを付けて、ブログを書いている。今回の記事は、まず寝起きではないということと、とりあえず、今日やらなければならないことを終えた状態で書いている。つまり、書いてから出発するのではなく、出発して用事を済ませてから書くという「普段とは逆」の順番になっている。トップニュースには、この後も「真夏日」が続出すると報道しているウェザーニュースと、大手企業のパワハラ自殺、それでやっと「コロナ報道」のような状態。もう、感染者数よりも日中の温度の値の方に、国民の関心が移っているようだ。

朝に書くブログでは、BGMをかけないで書くことが多くなってきた。ただ、やるべきことをやった後に書くブログでは、1日の全体を俯瞰して見られていて、落ち着いてBGMを選曲できている。今は、“Slow Cafe Time”のジャズ&バサノヴァを流しながら、ゆったりとした音調で、部屋を快適にしてMacと睨めっこしている。何やら、日差しが鬱陶しくて、カーテンを閉めて明かりをつけて書いているのだが、この自分の無意識の中にある行動に、なんの効力があるのかは、いまいち分かっていない。

平成を「失われた30年」という人もいる。その30年間に生まれた人は、当然、今の30代の人もいる。「30代で人生の90%が決まる」などという触れ込みの本が、最近の話題になっていて、そんな30年間を過ごす前に、すでに「昭和」を経験している私は、人生の100%に限りなく近い割合の人生を、すでに過ごしてしまったのだから、この書籍のテーマは、非常に痛いところを突っついてきている。確かに、今から身体を鍛え直して、歴史に残るような「スーパーゴール」を決められるサッカー選手になれるわけでもなければ、初のオリンピック競技になるサーフィンで、「金メダル争い」ができるわけでもない。やはり、私の「90%」は、「失われた」のであろうか。何ともやるせない気持ちになる。

どこをもって「失われた」と定義するのかは、甚だ微妙ではあるが、高度成長期を経て、バブルが弾け、平成に入った途端に、その不景気の波が押し寄せ、リーマンショックに向かって沈没の一途を辿ったということを指して、大まかに「失われた」と表現しているのだろうか。昭和の時代に、『ビーバップハイスクール』のような、面と向かって殴り合いをするようなシーンがなくなったとしても、いじめの問題は、日に日に陰湿化した。表面に顔を出さなくなっただけで、水面下では、さらに過酷ないじめが起こっていることもまた事実。冒頭の「大手企業のパワハラ自殺」であれ、「旭川少女いじめ事件」であれ、時代は変われど、中身はあまり変わってはいない。むしろ、悪化さえしているように感じる。

「ライブドア事件」という、一見すると「ピンハネ」の構造が理解しがたい状態で進んでいった、「ホリエモン」の刑務所生活だって、今はとっくに刑期が終わっているのであり、そんな彼が、現在ではYouTubeで大いに活躍の場を得て活動している。こう考えると、「30代で人生が決まる」とはいえ、何の部分が決まるのかは定かではない。いつ「バズる」のかは分からない。仮に、その本の筆者が、40代以降の「生存価値」がなくなるのだと言うのであれば、それは強く反対しなければならないし、人生「100年」だと考えれば、その書籍は強制的に「絶版」にしなければならない。

先日、同じ趣味を持つ人が集うアプリを通して、とても素晴らしい出会いがあった。良い経験だったので、このような場には、もっと参加すべきだと思い、昨日、「マッチングアプリ」なるモノに登録して見た。ただ、申し訳ないが、私と同じ「昭和生まれ」のお相手は、写真を加工して盛りに盛っても、「厳しい」状態。これも、何をもって厳しいというのは、細かく言及しないし、向こう側からしてみれば、昭和生まれの私がスケボーに乗っている画像を見て「苦しい」と思っているのかもしれない。だから「おあいこ」だ。

ただ、昭和生まれになればなるほど、鬼気迫る勢いで結婚願望があるのが分かり、それもまた自分にとっては「イタイ」ので、見送っている。自分のプロフィールは、もちろん年収を嘘偽りなく出しているし、年齢も偽っていない。それに、昨今の「サクラ」や「ヒヤカシ」などを防止するために、サイト運営側も、厳しく利用者の身元の確認をしている。だからこそ、昭和勢の勢いは、非常にパワフルだ。私も、自分の職業が「オンライン予備校代表」であることは間違いないが、月収が一気に100万円に跳ね上がったわけでもない。“FIRE”達成しているわけでもなければ、カワイイ彼女がいるわけでもない。そんな豊かなお財布事情で恋人がいるのであれば、そもそもマッチングアプリは利用しない。というかできない。「ヒヤカシNG」なのだ。

失われた30年間を経た上での「令和」。いきなり「新型コロナウィルス騒動」で、強制的に「激動」の幕開けとなった。「億り人」のYouTuberは、酒を呑みながら、経済的自由を求める人たちと、楽しく雑談。「億り人」を目指す人たちは、お金ばかりではなく、将来のパートナーとなる「コイビト」を同時に捜さなければならない。そのコイビトが、パートナーを選ぶ基準が「経済的自由」を得た人なのだから、世の中、どれが一番得をするのかがイマイチ分からずじまい。そうなってくると、サイト運営側が、ガッポリ儲かる仕組みであることに気付いてしまう。やはり、私は「マッチングアプリ」には、不向きのようだ。

-思考力