思考力

刺すから指す

昨晩、眠剤を早めに飲みつつ、かなり眠りに落ちるのに時間がかかった。もしかすると、日付を跨いで眠りに就いたのかも知れない。朝起きると、カーテン越しに、明るい日差しを感じられる。もう昼過ぎなのだろうか。時差ぼけ体質の再開かと思いながら、手元にあるiPadを見ると、朝の9時を少し回ったところ。いつも通りの時間に目覚めたようだ。もう季節は春だから、日が昇るのも随分と早くなっているのだ。ただ、こんなにも心地良い目覚めの中、最悪な精神状況になってしまったことは、全くもったいないことになる。

千葉に引っ越して入った会社での信じられぬパワハラや、そこで出会った生徒からの酷い挑発を、くっきりと思い出してしまったのだ。目が覚めて、布団の中でぬくぬくとした気持ちの良い朝だったのだが、全くもって正反対の精神状態になるなど、思いもできなかった。あの時こうしていれば、あのとき怒鳴り返していれば、あのとき、あのとき、あのとき…。ただ、時間は元に戻らないことは事実だし、悪いことをした輩たちが、一体どのような人生を歩んでいるかなど、私はもう一生知ることはできないのだろう。そんな惨めな思いが、思い切りフラッシュバックしてしまったのだから、なんとも気分が悪い朝になり下がってしまった。

このような状態になった時の対処法は、このブログでも何度か綴っているので、興味のある方は、この800記事以上ある膨大な量の中から見つけ出してほしい。ふと横になっている状態から起き上がろうとして力を入れると、今回のフラッシュバックが、さほどの強さではなかったことに気づく。気づくというより、自然に抜けたという感じがした。ミニマリストとまではいかないが、特に床に何か特別な物を置いていないため、ごちゃごちゃとした部屋ではないことが幸いしたのかも知れない。そのままコーヒーを淹れ、洗濯機を廻したら、そこまで強い恨みの念というものが、少し大袈裟かも知れないが、いつもより早めに消えてしまうようであった。

残念ながら、私には、このような恨みの念を消せるほどの広い心は持ち合わせていない。ずっと、怨霊のように残るであろう気持ちに、その都度その都度折り合いをつけていかなければならない。それに、いくら私が悪いと思っている輩であれ、その輩に天罰のような災が起こることはない。この部分が非常に許せない部分なのだが、やはり「人を恨めば穴二つ」という言葉が示すとおり、そんな輩に、いつまでも折り合いをつけられないのであれば、自分の身に、さらに悪いことが降りかかってきてしまうのかも知れない。やはり、断ち切ることはできない過去の出来事であっても、どこかで折り合いをつけなければ、決してまっすぐに歩を進めることはできないのだと思う。

今、「歩」という漢字を打ち込んで気づいた。「歩」という将棋のコマというのは、前に一歩しか進むことはできない。そして、歩は、奪われることで、その先の戦いを続けることとなる。ただ、歩は、相手の陣地に辿り着けば、「金」の動きができるようになり、一歩ずつではあるが、相手の守備範囲で様々な方向へまうことができる。そして、上手くいけば他の駒の支えがあれども、自分の王を守り、相手の王を仕留める動きができるのだ。上手い指手と将棋を指すときに、飛車角抜きで勝負しても勝てない時に、相手は確実に一歩ずつ攻めることができる「歩」で攻め込んでくる。今、記事を書きながら、こんな新しい発想が出来るようになった。

過去の恨み辛みを思い出すことは、確かに苦しいことであり、忘れ難い。ただ、こうやって思いを書き連ね、文字を重ねていくにつれ、新しい発想が見えてくることもあるようだ。まだ洗濯機は廻っている。まだコーヒーは2杯ほど飲める量が残っている。そう考えると、やはりインスピレーションというのは、時間の長さだけではなく、ふと思いついた中にピンときた閃きによってもたらされていくのだろうと考える。結果として、プラスの締めとなったブログ。これからの記事の中でも、この将棋の考え方という思考を、様々な面で折り重ねていこうと思う。

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