思考力

Spiritual ART

ブログを作成し、それを基にした動画を3本アップロードした。記事をリライトしたり、それを動画編集ソフトに移して、編集作業をする。やがて仕上がったそのファイルをYouTubeにアップロードするという一連の作業の合間合間に、朝やるべき用事を済ませた。洗濯物も片付け、掃除も終わり、自炊をして料理のストックもしつつ、朝食を終えた。まだ昼前だというのに、現在進行形で2記事目を書いているわけだが、やはり午前中の活動というのは、目的意識を張り巡らせていれば、とんとん拍子で片付いて行くもので、著名人や企業家が、いかに朝の時間を大切にしているのかを、身にしみて体感することができる。

先ほどアップロードした3本の動画は、書き上げた記事を3つの角度から捉え直す必要があるので、リライトを繰り返しているうちに、やはり同じことであれ、見えてくる視点というのが大幅に違ってくることが理解できる。物事を多面的に見ることは、いろいろな場面でとても大切になってくるのだから、このような記事作成や動画作成というのは、私の人生の中で大いにプラスになって働いてくれると確信する。ほとんど”FIRE生活”の状態を過ごしている自分にとって、このような創作活動というのは、自分を見失わないために、とても貴重な機会を与えてくれている。

人間は、夜行性の生き物ではない。そこに抗って生きてきた多くの時間は、実は人生を大きく浪費していたとも言える。ただ、そのような浪費しているという自覚の中で過ごしていた夜の時間の切なさが、この年になって再度考える当時の苦悩を語る上で、強い基盤を構成していることも分かる。一概に、マイナスの側面ばかりを感じていた期間であっても、その時期に蓄えられていた経験というのは、実は人生を形成する上では、とても大きな機能を担っていてくれることもあり、過去を後悔しすぎるのは得策ではなく、時間が経過してから、改めて振り返ったときにプラスの側面に気づくことだってある。だから、過去に固執して落ち込んでいるのではなく、その過去がいかに現在の自分を形成しているのかというのを、なんとか積極的な方向へ結び付けられないかという意識の変革というのは、とても大切だ。

「解釈」という言葉は、意見が二つに分かれるということ。つまり、人生を後付けで考えるときに、当時をどう捉えるのかというには、どのような角度で解釈してもいい。つまり、とても自由な考え方で全く問題ない。そこに、ポジティブな面を付け加えたいのであれば、なるべく滑らかな思考力と創造力が不可欠なのだが、それをいろいろな形で具体化したり、色彩に満ちたアートで表現することだってできる。だから、過去を過去のものとして一面的に捉えるのではなく、限りなくカラフルな現象だという認識で解釈し続けていれば、人生には決して無駄なパーツなど組み込まれていなかったという結論にもなる。そう考えられたときに、それは「解釈」を超越した「事実」として捉えることができる。

今まで書き上げてきたことを、いろいろな角度から考え直し、テキストを音声として認識する。そして、目を閉じて、自分の考え方が、どのように変化しつつ、どのような一貫性を持っていたのかを考える。そして、そこに文字を超えた「リズム」や「色彩」を感じられれば、そこは自分の心に描き上げられた「アート」と言える。そして、それを思考の中に自然と溶け込ませられれば、それは自分の人格を「ナチュラル」に形成させられたということにつながる。やはり、言葉には。芸術性というのが内含されている。これが神秘なのかもしれない。

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