思考力

停滞した箇所の投影

最近、寝付きがよくなったというか、ベッドは寝るためだけに使うということを徹底していて、横たわって20分くらいしても眠れない場合は、睡眠に対して抗うことなく、ソファーに座り、ネットをしたり、YouTubeを観たりしている。眠剤を飲んだ状態で、こうしながら眠気を待っていれば、ほぼ確実に強い眠気が来て、それに併せて眠りに落ちるようなる。就寝前にブルーライトの画面を見続けていると眠れなくなるというのは、実は都市伝説であって、蛍光灯のつよう光などを浴びねければ、体は勝手に就寝モードだということを認知してくれるから、それほど深刻に不眠症に苦しむことはないということになる。

私の場合は、次の日の予定を、目が覚めてから決められるという「ささやかな」経済的自立を達成しているので、遅刻しないように起きて、上司の顔色を曇らせないようにするというストレスからは、解放されている。今も働いてくれている「ルンバ」も、給料は充電分の電気代だけなので、とてもやすく雇えているし、いくら働かせても労働基準に違反しているなどと文句を言って、労基に駆け込まれる心配もない。電動歯ブラシが、手動の歯ブラシよりも良い動きをしてくれているのと同様であり、コーヒーメーカーが、ペーパーをセットするだけで熱々のコーヒーをセットしてくれるのとも同じ。もはや、自分でやることのほとんどが、少ない「電気代」だけで完了するのだから、これほどありがたいこともない。

最近、ラッキーナンバーをよく目にするし、日中の強い眠気に困るくらいだ。開運のBGMを流していると、それが耳に入ってくるだけで、心が癒される。ただ、昨日は、確定申告でハジき出された、とんでもない金額の税金を納めたし、今年の住民税だって、それなりの金額になってしまう、危うく、贅沢品でも買い揃えてしまおうかというくだらない考えが頭をよぎっていたが、議会で居眠りをしているようなニンゲンに渡す、「血税」の恐ろしさを甘く見てはいけなかった。

自炊している。それでも、食材を買いに行くと、どうしても甘いものが食べたくなる。スーパーの陳列の順番だって、人間の購買意欲を掻き立てるように配列されているのだから、それに抗うのは、とても難しいことだ。まんまと戦略にハマってしまう。意を決してレジに向かおうとも、レジ横の甘いお菓子が目に入って仕舞えば、それをカゴに入れてしまうし、それでも量に満足できなければ、お菓子コーナーに戻って大量のお菓子をカゴに入れてしまう。もはや、スーパーや、ドラックストアにとっては、良いお客さんだ。そして、それをムシャムシャと全て食べ切ってしまうのだから、体重は、恐ろしいほどに増加の一途を辿っていく。意志の弱さだけではなく、どこかで強いストレスも加わっているのかもしれない。

一時期、地元で、とても分かり合える団体のメンバーとなった時があった。それは、同じ心の傷を持つ人たちの集まりで、みな自分を歓迎してくれた。でも、なかなか一見さんが入っていける状態でもないような気がして、自分から身を引いてしまったのだけれども、そのようなときに自分は、居心地が悪かったとしても、そのグループに属するべきだったのだろうか。かつて、それと同じようなグループに無理をして参加していたときに、自分が無理をしていることなど、周りから見れば明らかであって、集合に誘われることさえなくなっていた。さらに、自分の周りで自分がまとめ役となってグループを作ろうとすれば、自分から様々なモノやカネを奪い取って、捨て台詞を吐いてさっていった者たちもいた。そう考えると、やはり今の自分の孤立した状態というのは、ベストな状態だと言えるのではないだろうか。

ふとした瞬間に、パッとフラッシュバックが起こるということがなくなりつつあり、気づくと過去のトラウマを思い出していたりする状態が多くなった。これは、いわば慢性的な病状に陥ってしまったとも解釈できる。それを、フッフッと交わせるだけのスキルが身についていれば良いのかもしれないけれども、今の自分の精神状態でそれができるとはとても思えない。それをよく示しているのが、紛れもない「ストレス性過食」なのであろう。

いつもと同じ朝。予報では、かなりの大雪になるということだったけれども、日差しが出ている。ただ、さすがに寒い。いつもと同じように記事を書く。でも、いつもと違う停滞した文章。気分が乗ってこない。そこに何が加わっているのかわからないし、それを跳ね除けられる力が、自分の精神力に備わっているのかもわからない。そもそも、人間は、自分の心の中にある曇っている部分を理解したり、解消することはできるのであろうか。それを、「可能である」と言い張れる人がいたとして、その先に「カミサマ」の教えに従うことに導かれるのであれば、その先には何も繋がっていないはずだ。そして、そんな心の弱い部分から抜き取られる「お金」というのは、「お布施」と称した詐欺師たちの錬金術になってしまう。

どこまでを自分の力で解決できて、どこまでを自分の外に助けを求められるのかを線引きすること。これは、過度の苦しみを軽減するためには、とても重要なことである。そして、自分の中に閉じ込めた自分に、貴重な可能性を秘めた投影があるのであれば、それに対して、人間は、無常の感謝を覚えるはずである。

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