思考力

偏る立場

最近は、未来予想の動画を、よく視聴するようになった。2040年が、まだまだ遠い話とはいえ、2030年や2025年などの非常に近いとも思われる予測をしている本も、かなり出ているようだ。こうなってくると、ここ30年程度の進歩が、これからの一年程度に凝縮されていくような感じである。亡き父が、「若いうちの一年は、歳を取ってからの十年に値する」と言っていたのだが、まさに時間的にも父の言った表現がピッタリと当てはまる。

ここで、私などがシンギュラリティーの話をしたところで、無知がバレバレになってしまうので、この事実を、どのように受け止めるべきかを考えてみよう。まず、当然のことながら、AIの進歩は、とんでもない進歩をすることは間違いなく、今、スーパーで買い物をすれば、有人のレジの区域が、どんどん無人のレジになっている。これは、ETCレーンが、一気に普及したかの如く、この数年で有人のレジが消え去ることを示唆している。

そもそも、スーパーで買い物をするという行為そのものがなくなるのは、まだ先とはいえ、駅の改札のように、買い物袋を持ったまま、店から出ると精算が終わっているようなシステムになっているはずだ。現に、ユニクロなどは、買い物した物を、測りのようなところへ置けば、すでに会計が表示されるわけだから、もはや一歩先をいくシステムは、時代を先取りしている会社から行われているのは、当然のことと言えよう。

もちろん、トヨタが終身雇用制度を維持できないと言ったように、一つの仕事をずっと続けられなくなることも不可避だ。そもそも時代のニーズが、とんでもないスピードで変化しているわけだから、そのスピードに確実についていけるだけの情報収集力や知識をつけておかなければならない。そうしなければ、AIに淘汰されゆく仕事に固執することとなってしまう。「昔は、人間が車を運転していたんだ」なんていう会話も、もうすぐそこまで来ている。

無茶な投資は論外とはいえ、フルタイムで働いて、見栄をはるような生き方より、インデックス投資などで確実に資産を増やせるだけの貯蓄と、必要最低限の生活水準を上げないということも、とても大切なことと言えよう。9時5時フルタイムという概念も、もうすぐ終わりを遂げる。『金持ち父さん貧乏父さん』ではないが、本当に自分にとって必要なことは、見栄を張ることなのか、ゆとりを取ることなのか。それは、各人の考え次第ではあるが、時代は、確実に後者に偏りつつある。

ここで、本題といえば本題なのだが、この事実を理解してスピード感にシッカリとついていけるかどうかということが、とても重要になってくる。仮に、自分の意識が低く、時代の流れに翻弄され、もっといえば、時代が流れていることにすら気付いていないのであれば、それは極めて危険なことだ。これからは、搾取される側とされる側に分断される。そして、前者になってしまえば、無批判に後者に従属することになり、何に対しても自分の意思というものが付随されないままの行動となる。

新しい時代の流れに伴う「カラクリ」を、自分の意識を高めることで突き抜けていく。そのような主体性のある行動こそが、これからの時代を生き抜く原動力となることは、おおよそ間違いはないことだと思っている。

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