思考力

単複同型なのか

只今、午前9時を回ったところ。TOKYO Shibuyaの喫茶店で、iPad越しにこのブログを書き綴っている。実は、このブログはテイク・スリー。まず、自宅で書く決心をしてMacBookを開けど、愛機Macの前でコックリコックリ眠ってしまう。そして意を決して電車に乗り込んで書こうとも、座席でグースカ眠っていた。そして現在、眠気もほとほと醒めたので、月に一回処方してもらう、心の波を穏やかにする薬と眠り薬をいただきに、Shibuyaにいるのである。ここまで信頼して通っているのだから、診察代は割引にしてもらいたいものだが、そんな冗談をうまく切り返してくる仲のドクター。これからも仲良く付き合っていきたいものだ。

依存の自助グループに参加していることは、そのドクターに伝えてあるのだが、やはりスリップを繰り返していると、もはやグループミーティングそのものに行くことを躊躇うこともあり、とても難しいことではあるが、もはや一人で依存の問題を解決していこうかとも考えている。やはり、独りでいることに慣れた自分が、わざわざ自助グループの仲間意識で問題を解決できるのだろうかとも思う。

人間、ポジティブだけでは生きていけないように、誰かと一緒に思考を明るい方向へ向かわせることばかりにに違和感を感じるというのは、孤独感を自分の中で上手にコントロールできる人であるとも言えよう。今まで、ずっと独りきりで生きてきたような気がする。少なくとも、周りにいる知人から見れば、私の交友関係は狭い。いつしか、それが普通の状態であり、むしろ一番心地良い状態に感じられるようにもなった。

自分を変えていくヒントというのは、生きていく上で、たくさんあるように思われる。大抵、未来の目標達成の為に、自分をより良い方向へと変革させようとする時だ。人間は、前を向いて歩くことしかできない。後ろ向きで歩いていれば、事故に遭ったり怪我をしたりすることにもなる。ただ、少し立ち止まって自分の過去の履歴から、自分にとって大切なものを知ることもできる。たとえば、自分の好奇心は、どこから派生して今に至ったのかとか、今の思考力に繋がるまでに、どのような思考過程を踏んできたのかなど。

価値観が多様化し、現代の問題そのものも複雑になってしまっている。そこに恐怖を感じるがあまり、誰かと無理やり付き合おうとすれば、そこには歪みしか生まれない。仮に、今の状況で努力が実らないと悩んでいるとするのであれば、自分が独りが向いているのか、仲間と行動することがいいのかを判断する機会でもあると考えるべきであるのだ。

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