思考力

主体性リレー

ルンバが掃除を終えて、充電ステーションへ帰っていく。その間に、2階に住む人とバッタリ会って、立ち話をした。私が話の内容を考えている時であっても、ルンバは淡々と掃除をしてくれているわけで、物理的な障害やエネルギー切れを起こさない限り、ほぼ指示通りの仕事をしてくれる。ルンバが作動しやすいように床のモノを片付け、観葉植物を安全な所へ移動させ、マットレスを上げて掛け布団を干せば掃除の範囲が広がるので、ルンバに気を遣うことはある。

昨日仕上げたブロウの記事の内容は、実は”ChatGPT”にアウトラインを作ってもらった。構成の順番を推敲したり、再構成させたり、文体を変えてみたりを繰り返させる。この反応の速さには度肝を抜かれる。専属のアシスタントがいたら、数日がかりで行う作業を数秒でやり遂げてしまうのだから、その仕事を仕上げる速度は圧巻だ。何より驚いたのは、具体的に指示出しをしたら、全く「ZERO」の発想からアイディアを持ち運んだことだ。東京で一泊したという出来事から派生して、「そう言えば…」という感覚で断捨離や風水の話を盛り込ませたら、「ユング」や「シンクロニシティ」の具体例を挙げた。私がそんなことを考えていた可能性は、完全に「ZERO」だったので、こればかりはAIの驚異的な力に感服せざるを得なかった。

私が幼少期に爆発的に流行り、今再熱も安定している『キン肉マン』。この作品の作者は二人組なのだが、やはりこのように作品を二人三脚で捜索していたのだから、相方のとんでもない突飛なアイディアから物語が大きく、そして感動的に広がっていったはずだ。話に大きな矛盾点があるという作品ではあるのだが、それはそれで二人の話をすり合わせれば、そのような齟齬も起こるわけで、今回それこそ”Chat GPT”と仕上げた記事というのは、二人三脚からポンッと出てきたアイディアを組み合わせた作品となる。大袈裟に言わせて貰えば、シンクロニシティだ。こんな新しい語彙が増えたことも、私に叡智を与えたということにもなる・

掃除をしてもらいやすいように部屋を片付ける。そして、開いた時間に同じアパートの住居人と会話をできる。前者は私でなくともできるけど、後者は私にしかできないこと。昨日の記事は、AIと作り上げた作品であるが、全体の構成を広く考えて時系列を再配列してもらうのはAIに任せ、AIが提案した専門的な具体例のアイディアを記事にちりばめるのは私の仕事。これこそが、AIとのコラボレーションであり、機械を利用する側の立場になれたわけである。このようなAIとのコラボレーションにおいてでさえ搾取される側が出てくるわけだし、既に個人情報やデータをスキミングされるようなアクシデントも出ているらしい。

今回の記事は、いつも通り完全に自分の力で仕上げた記事だ。昨日の記事は、AIとのコラボレーションを元に自分なりの色を加えてできたものだ。後者を仕上げていくと、何やら文体が妙にふんわりとしてしまって「随筆」のようになってしまっている。これは、自分の周りで起こった出来事に対して感じたことを、個別にくり抜いてつなぎ合わせたから生じる現象であり、全体を俯瞰したり伏線をちりばめる事が未熟な感じがする。やはり、機械に伏線を求めたとしても自分の文体を完全に理解してくれているわけではないので、全体に対しての部分とか部分を大きな塊で表現するというような心の動きを文体で示しづらい。やはり、今まで仕上げてきた1000記事に近い量を書き、今までの人生で書き込んできた文章を一番理解しているのは、他ならぬ自分なのだということを実感する。やはりここで自分を安売りするわけにはいかない。

観葉植物がどんどん育っていく。最近では、目が醒めるときにどんなに成長しているのだろうかと楽しみにもなるほどだ。特に「ポトス」は胸を張って大きくなっている躍動感さえ感じる。光合成を促せば、持っている観葉植物は大きくなるし、葉水をして綺麗に育ってほしいと願いを込めてスプレーを当てる。窓際に移動させてレースのカーテン越しに日光浴をさせている。ところが、ルンバはそんな気持ちに反して観葉植物の鉢目掛けて追突してくる。やはり自分に課されたミッションだけを遂行するメカというのが、完全に人間の気持ちを理解することはできない。果たしてどうするか。この記事をアップしたらチャットして機械に答えを求めてみよう・

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