思考力

うねる空気

最近の睡眠時間は、かなり長くなってしまい、今日の診察時間に間に合うように起きられるか不安だったのだが、案の定、起きられずだった。しかしながら、このままズルズルと今の薬の配合を続けるのも無理があるので、急いで東京行きの特急電車に駆け込んだ。とにかく最近は、トイレが近い。医者に原因を聞けば、水の飲み過ぎだという至極当たり前のことを言われ、昨日ジイさんに自転車から怒鳴られたことを話せば、「頑張れ」の一言でカウンセリングが終わってしまった。信用しているドクターとはいえ、なかなか残酷な診察だった。

東京へ引っ越すのを完全に諦めたわけでもないが、また内見内見の連続で、結局のところ契約ができないということが続くのであれば、やはり、今の住居で動かないという選択肢しか残らなくなってしまうわけで、どうやらこの暑い中で物件選びなどとても出来やしないという着地点に落ち着いてしまう。中古の軽でも買って、外房生活を満喫するという手段で行こうかと思っている。やはり、動かないという選択肢を最良と取るのは、現時点では正しい。何やらセカセカと物件を選んでいた感もあったし、何とか体ごと東京へ移せば何かが変わるという期待感ばかりが先行していたようだ。

Twitterを開けば、私のフォロワーの多くが、精神を病んでしまった人で、そのような人の呟きがタイムラインに表示されるので、それを読んでみれば、やはり仕事でうまく行かなかったり、現状や今の環境から抜け出せずにいる「悲鳴」のような呟きもある。そう考えると、自分自身も他ならぬ当事者である故、自分の中で焦りのような気持ちが渦巻いていることも事実として認識すべきだ。いくら自分は追い詰められてはいないと考えようとも、心の中では疲弊していることは否定できず、どこかしらで次のステージに続く道というのを掴んでいかなければならない。

今、東京から戻ってきて、自分の今後のことを考えても、何やら空気を掴むかの如くぼんやりとしていて、フッフッと無い物を追いかけている気持ち。言い換えれば、まさに焦燥感の中で空回りをしている気持ちが心を逆流させるようだ。ただ、その動きは激流のような激しさではなく、何となく一過性の渦のようなどよんとしたウネリで、今中途半端な動きというのは避けた方がいい気持ちがする。あたふたして泥沼にはまり込むようなことは、今は禁物なのだ。

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