思考力

ユース

芝生に座る。高台になっている丘の上から、幹線道路を行き交う車のテールランプとヘッドライトが、蛍のように流れている様子が見える。オレンジ色に染まる夕焼けから、しっとりと景色が夜に引張られ、星がチラホラと目に入ってくる。やがて星空は、プレネタリウムのように輝き、いつもの外灯の手すりにつかまりながら、ゆっくりと景色を眺めていた。

青春時代。二度と繰り返したいとは思わない体験が脳裏に浮かぶ。ただ、戻れるのであれば戻りたい。別に、過去を書き換えたいと思っているわけではないのだが、やはり、どこかで歯車が狂ってしまったのかもしれない。ただ、ほとんど全ての人間が、同じようなことを考えているのは間違いない。だったら、もう二度と青春時代を繰り返そうなどと思わない方がいい。

十代後半が、どのように自分の人生で位置付けられているのかを、ぼんやりと考える。再び、若さを手に入れたいとは思わない。時間をかけて積み上げてきた経験を、もう一度積み上げられるとは思えない。あんなに苦しい思いをした十代を、誰に頼まれようと、何千万積まれようと戻りたくはない。

青春時代というのは、誰にとっても、ガムシャラに生き、顔が赤らむような恥ずかしい失敗をして、それでもなんとか立ち上がっての繰り返し。それを引きずりながら人間は生きていくわけだから、それを繰り返したいというのは、愚かなことだと知る。当然のこととして、昔に戻り、他ならぬ正真正銘の「自分」を、もう一回、捜し当てることなんて無理だと分かっている。今が充実していようといまいと、どんな人間であれ、苦しくて切なくて、それでいて、今考えると些細なことに悩んだ、深い悲しみや苦しみの時代を繰り返す力はない。それが、時間の中で経験を積んだ証なのだ。風が流れているよう、時間も流れている。

人は、不器用な生き物のようで、空回りする気持ちの中、何としてでも手に入れたい「何か」が湧いてくる。それは、年を重ねるたびに「可視化」できる、お金を払えば手に入る「モノ」となる。ただ、青春時代の欲求は、有り余る得体の知れない強い力であり、背中から突き動かされるような衝動から、自分でも思いも寄らない行動に駆られてしまうものだ。そこで、今思い返しても恥ずかしい経験や、少し線を超えてしまうこと、あるいは、自分の力を遥かに超越した才能に気づくこともある。それは時代によって、また運によっても左右されてしまうのだが、少なくとも、どんな青春時代を過ごしたか、あるいは、どんな角度で自分自身と向き合えたかで、その後の人生は大きく変化する。これは、間違いない。

寒さを共有した友人とは、特に人生について語り合うことが多かった。これからぶち当たるであろう困難。果たして、今の未熟な自分たちが、未知なる巨大な障害を打ち砕くことができるのか。夜が更け、朝陽が昇ろうとする頃に、眠りに入った。あの頃に聞いていた歌を聴いて懐かしくなる。もうそんなに月日が流れたのか。早いな。感慨に満ちた気持ちが込み上げてくる。風は流れていく。これを止める事なんてできない。しっかりと意識して風を感じながら、これからの人生の流れを組み立てていこうか。

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