思考力

“fusion” 師弟関係を超えた先にあるもの

hくん

昨年の秋、大きなクラス替えがあった。夏からの中途入塾生たちや、最底辺レベルからクラスを上げた生徒たち。そして、それまで指導をしていた生徒を、一斉に教えることになった。クラスが替われば、教える講師も変更になり、必然的に、それまで、私が担当していたクラスに、様々な学力の生徒が入り混じることとなる。このこと自体に、私としては、大きな違和感を感じずにはいられずとも、その塾の経営方針を、抜本的に変える権限など持ち合わせておらず、どのように授業を組み立てればいいかを考えあぐねていた。

初回の授業が終わり、自分としては、上出来の授業ができたと思い、講師室の椅子に座るや否や、ひとりの男子生徒が、近寄ってきた。「先生、僕は、付いて行けるのでしょうか?僕は、大丈夫なのでしょうか?」と言って去って行った。学習塾では、よくあることなのだが、クラス変更に伴う、強制的な講師の変更や、授業内容の難易度の変化を受け容れられず、文句を言う生徒は、少なからずいる。彼も、そのような輩の1人なのだと、鷹を括っていた。

次の週、やはり、快調な授業展開に満足しつつ、クラス変更に伴う、大きな混乱などを懸念していた自分の取り越し苦労を、自分の気の小ささだと思って安堵していた。すると、やはり、前週の生徒が近寄ってきた。俗に言う、「クレーマー」だと思っていた。「僕は、付いて行けるのでしょうか?本当に、付いて行けるのでしょうか?」。付いて行けるかどうかなど、自分の努力次第なのだから、前の講師とのやり方の差異に、文句を言っているだけだと思った最中、彼は、自分のジャージから、クシャクシャに丸まったティッシュで、涙を拭きながら、「大丈夫なのでしょうか?本当に、大丈夫なのでしょうか?」と言うだけで、去って行ってしまった。会話をするというよりむしろ、迷子の幼子が、母親を見失っている悲鳴が、私の鼓膜に響いて、振動しているばかりの、虚しい“sound”、いや、“noise”だった。おそらく、涙を出さないで、私に「思い」を伝えるために、何度も何度も、セリフを考えては、やはり、涙が出てしまったのだろう。ジャージから出てきた、クシャクシャのティッシュが、それを物語っているようだった。

もしかすると、彼のように、強い違和感と不安を抱いている人が、他にもいるのではないだろうか、という強い懸念が、脳裏をグルグルと駆け巡った。校長と掛け合い、「補講の授業」を申し出た。その授業の前に、必要最低限、「暗記」しなければならないことを、事前に、彼にだけは、教えていた。そして、初講日。多くの生徒が教室にいた。中には、1学期から受講している生徒もいた。自分は、知らぬ間に、どれだけ多くの若者たちの心を、傷つけていたのだろうか…。自戒の念は、すぐさま闘志となり、自身の力を最大限に高められるよう、計画を立てた。

週を挟み、泣きながら助けを求めて来た彼のマンツーマンの指導の2回目。彼は、必要最低限の「暗記」を怠っていた。私は、基本的に、やらない人間を強く叱ることはなく、容赦なく見捨てる。下手な争いごとが嫌いだから。しかし、一呼吸置きつつ、彼には、強めの口調で言った。「いくらでも教える。どんなに初歩のことでも構わない。でも、必要最低限の暗記すべきことすらしないで、助けを求めることは、甘えだ。将棋のルールを教えてくださいと言っておきながら、駒の名前すら憶えていないで、助けを求められても助けようがない」。言い過ぎたか。でも、その後の反応は、彼次第だ。

次の授業。彼は、居なかった。やはり、伝わらなかったのだろうか。強く言い過ぎたか。これで、もう、彼を救う手立ては無い。そう思うと、肩を落とす以外なかった。すると、息を切らせながら、びっしょり汗をかいて、彼は教室に入って来た。「すみませ!遅れました!」。学校の行事が延びたようで、意図的な遅刻ではなく、さらに、遅れたことを心底悔しがっていた。

初回の授業で教えたこと。つまり、彼が、「暗記」をしなければいけない部分を、テストした。ここが、分岐点。祈るような気持ちで、後ろから、彼のシャーペンの動きを視る。ペンが一瞬止まるたびに、冷や冷やしつつ、彼は、全て書ききっていた。そして、全て書ききれたのは、彼だけだった。もうそれだけで、お互いの信頼関係は、構築できていたのだ。あとは、時間が過ぎるだけ。入学試験を受ける前に、他教科を含め、私は、彼の合格を、その時点で、確信していた。それは事実だった。

千葉に移住し、20名前後の生徒を相手に、クラス単位で授業をすると、おもしろい発見が多くある。「英語」という科目の特性上、どうしても、今までの学習法や、考え方、感覚だけで解いてしまう者、または、授業進度に対して不満を言う者が出てくる。幼少期から英語を学習していたり、すでに、英検などで、具体的な「級」を取得しているケースはタチが悪い。たしかに、従来の考え方を変え、新しい考え方を受け容れることは、容易ではない。今の私だってそうだ。しかしながら、何かを教授された際、一度、指導者の考えを受け入れた状態で、物事を考え、ある程度の期間、その指導法で問題を解決する術を学ぶべきである。そうしなければ、自分の中に眠っている、無限の可能性を得られなくなってしまうかもしれない。特に、若い人たちにとって、様々な視点で物事を見定める機会は、絶対に逃すべきではない。

私自身、30代後半で、大きく英語の指導法を転換させた。かなりの勇気が必要だったし、今まで指導してきた教え子たちを裏切るような形にもなってしまう指導法の改革だった。そして、今がある。つまり、変化することに恐怖を感じつつも、新しいことを受け容れることで、従来の凝り固まった偏った考え方に気付くのである。道は、確かに、続いていたのだ。

自分が未熟であることを認め、自分を改善しようとする者。自分が得意とすることであっても、新たな考えを積極的に受け容れ、自らを変革させた者。善し悪しは別として、従来の自分の考え方から離れなかった者。指導者のペース配分を無視し、課された問題すら拒否する者。様々だった。

世間では、コロナウィルスが猛威をふるっている。日本も、どうやら、従来の教育システムを変化させなければならない過渡期を迎えていることを否定できない危機的な状況だ。そのような混沌の中、如何なる教育を、私自身が実践できるかを、今もなお、模索している。そして、そのような探究心を失ったら、教壇を降りるときなのだと、自らを律している。

hくん、とても格好よかった。あのような純粋無垢な学生との出会いがあると期待できる限り、私が、教壇を降りることはない。そのような出会いの中で、師匠と弟子の関係が、人と人の繋がり、絆として成長していくのだとおもう。人としての成長を、“share”すること。教育とは、“共育”なのだ。

pastedGraphic.png色彩を手に入れるキッカケは素直さから始まる

自分の「こだわり」を保つことは、大切なことだ。それは、プライドと言い換えることもできよう。ただ、何かを学ぶときに、まずは、指導者の教えを素直に受け容れることも、同じくらい大切なことだとも思っている。順調に、進んで行っていた考え方に、違う教え方が入ってくると、まるで、自分の体内に毒が入って来るかの如く、拒絶する者もいる。上記の文章は、自分の無知を認め、新しい考え方を身につけようとした者と、頑なに自分の世界に閉じ籠り、新しい教えを採り入れなかった者の比較として読んでいただきたい。

まず、自分の力不足を認め、自己克服をするために、指導者の教えを受けるときには、指導者が教えた必要最低限のことを、積極的に努力して理解する姿勢を崩してはならない。一方的に、頼ることを求めると、指導者に依存し、独力で思考力を育めなくなる。最終的に、できなかった頃の自分に戻り、自信を失ってしまう。目指すべきは、頼る相手ではなく、成長した自分だ。指導者と、それを教授する者の関係性と適切な距離感を掴むことは、時間がかかりつつも、一度、歯車が噛み合えば、その指導力と成果は、一気に向上する。

では、もともとの自分のやり方だけを、全てだと考え、指導者の教えを無視することは、いかがなものか。これは、当然、避けなければならない。特に、若い頃は、様々な視点から物事を見つめなければ、多様な潜在能力を引き出すことは、困難になってしまう。また、自分のやり方に、行き詰まりを感じた頃には、指導者に対して、強い嫌悪感を抱く傾向があるため、ますます自分の固定された考え方に締め付けられることになる。本人は、決して、自分が頑固になったことを認めることなく、指導者のやり方を批判し、自分の従来のやり方の正当性を信じてやまない。

私は、自分の授業が、絶対だと思うことはない。むしろ、そのようなことを思ってしまう時が来てしまう時を恐れている。だから、常に、自分のやり方を省みて、己を知り、時に応じて、マイナーチェンジをする。そして、一番大きく自分の授業スタイルを変えたことがあった。選択肢を見ることなく、まず、本文を読み、しっかりと内容を理解した上で、問題を解くというスタイルに変えた。30代後半で、このスタイルに変更することに大きな不安がありつつ、やり方そのものを変える勇気を持ったことで、自分の授業が一気に花開いた。まさに、自分自身が、「天動説」から、「地動説」という、180°の方向転換をしたことで、どうしても、自分自身が、授業中に説明し切れていない、お茶を濁してスルーしていた部分を、明確に説明できるようになった。そして、変化することを恐れてはならないことを強く感じた。

たとえ、自分と合わない考え方を持っている指導者がいたとしても、ある一定の期間は、その指導者の考えに合わせなければならない。ここは、断定的に言う。その道で、プロとして指導しているからには、やはり何かしらの有益な内容が含まれている。だったら、その視点を十分に受け止め、その後、やはり従来の考え方が、自分に合っているというのならば、自そやり方に戻るのは、本人の自由だ。

では、純粋に指導者の教えを受け容れた者と、受け容れなかった者の結果を、嘘偽りなく書く。前者は、違和感を感じつつも、徐々に新しい考え方に慣れ、結果が出ていない状態でも、新しい考え方に、確たる自信を持ってくれた。そして、ある時を境に、一気に成績が伸びた。まるで、徐々に水が溜まっていたバケツから、大量の水が溢れ出るかの如く。後者は、緩やかに成績が伸びていく。自分のやり方が正しいことに、何の疑いも感じていない。ただ、「偏差値」という数字は、時に、実に面白い現実を突きつける。前者が、一気に成績を上げると、相対的に、緩やかに伸びていた後者の成績が、ガクンと落ちるのだ。今度は、時間という制限が加わり、焦りが焦りを呼ぶ。すると、引き返せなくなった本人は、まるで、SNSのアンチコメントのように、私のやり方の誹謗中傷を吹聴する。だが、もう遅い。その頃には、「オオカミ少年」。周りで、私に不信感を抱く者などいない。私のやり方で、しっかりと成績が上がったのだから。

ここで、誤解して欲しくないのは、私は、「勝った」と言いたいのではない。師弟関係において、一番大切なことは、信頼関係であり、その信頼関係の過程で、大きな自信を手に入れた者同士の絆は、強い。そして、「師弟関係」という枠組みを超えた、人と人との繋がりを産むのだ。

 

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