思考力

ハエのダンスと蚊の合唱

Macの電源を入れれば、明日は「昭和の日」という表示。世間様では、明日からGWに突入するわけだが、万年GWの私にとっては、周囲がお祭り騒ぎになっていると取り残された気持ちになり、焦燥感ばかりが募る。日曜にリフレッシュした会社員が、青白い顔をして仕事場へ向かう月曜日の朝などは、自分にとってお祭り騒ぎが認めてもらえる時間のような気がする。そんな天邪鬼な自分は、たった今、渋谷の精神科の受診から帰り、毎日更新の記録を破らないように、外房の自宅でカタカタとMacのキーボードを弾いているわけである。

病院の待合室は、患者で混み合っており、予約の時間より早く到着していたので、それほど苦痛は感じなかったのだが、連休前にコンディションを整えようと、滑り込みで予約を入れたであろう患者が数人、自分の順番が回ってくるのか、はたまた順番が飛ばされているのではないかと受付の人に詰め寄るシーンがあった。もちろん私も含めるが、連休で病院が開いていないときに具合が悪くなると大変危険なので、ワラをもすがるような思いで主治医の診察を受けにいく。

外傷がなく、数値で測ることができない精神疾患というのは誤解されやすく、心ない人から「弱い人間」というレッテルを貼られやすく、それを回避するために、必死になっているのだが、やはり自分が弱いということを責め、受診することや服薬することそのものをやめてしまうケースが多い。ここ最近の私のTwitterのタイムラインには、多くの精神疾患のユーザーが表示されているが、ほとんどの人が、他人からの心ない一言や、それを言い返すことのできなかった自分の弱さを悲観的に見ている。同じように精神疾患を持つ自分としては、同じような経験を経ていることが多く、あまりいい表現ではないが、同情してしまうこともある。

私も多分にもれず、Twitterで愚痴をツイートしてしまうこともあるのだが、最近では「思い出し怒り」に苦しんでいることを呟いている。過去の理不尽な攻撃を思い出しては、その腑に落ちなかった記憶が蘇り、爆発し、心も身体も暴走してしまうのではないかと思うことがある。特に、ここ最近の思い出し怒りは手強い。いっそのこと仕返しをしたくなったり、真正面から裁判を起こすことだって本気で考えている。そんなことを、今日の診察で主治医に話した。

カウンセリングの内容は問題ではなく、このような症状というのは、双極性障害の躁状態で起こることがあり、おそらくそれではないかという着地点に落ち着いた。確かに、躁状態の時というのは、睡眠時間が一気に縮まり、それでいても全く疲れなどが沸かない。まさに「無敵の人」になる。今は、薬で躁転することを抑えているから、このような奇怪な心理状態になっていることだって十分考えられる。もし、服薬していなかったり、主治医とのカウンセリングがなかったとしたならば、見事に「無敵の人」になって大惨事を引き起こしていたのかもしれない。

今回の記事を読んでもらえば、精神科にいくことや、服薬することは、何ら恥ずかしいことではない。むしろ、自分から積極的に自分と向き合うために休息をとっている真の意味での「強い人」なのだ。事情も知らずに、勝手に弱虫のレッテルを貼るような人間がいるのであれば、事の重大さを理解しようともしない、ただの怠け者の甘えた泣き声なのだ。その程度の認識で十分。もっといえば、声にすらならない、ハエの不快な羽音か、血を吸おうと目論んでいる忌々しい蚊が、耳元でちょっかいをかけているとでも思った方がいい。精神衛生上、このような考え方というのが、間違いなく合理的だ。

主治医と話し合い、医者任せにするのではなく、自分の症状をしっかりと話し、そして分析してもらいつつ、自分なりの薬の配合を提案してみる。そこから先の専門的な薬剤の配合については、医者任せでいいし、この部分に、医者の専門的な知識に裏付けられた技量がかかっている。私が患っている「双極性障害」というのは、とても難しく、徹夜を一回しただけで一気に具合が悪くなってしまう。かといって、抗うつ剤を飲めば、一瞬にして躁転する。この気分の荒波を掻い潜っていくためには、自分の中の基準を、いい意味で甘くしてあげること。そうすれば、寛解へ向かう可能性が、グッと高まると思っている。

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