思考力

飲酒発言

 

何やら、炎上系のネタで、YouTube界隈が騒がしい。まぁ、私が情報を得る「9割」以上の手段は、YouTubeを通しであるから、そのぶん、YouTubeの舞台上での「火事」に気づくのも早いのかもしれない。ただ、基本的に、芸能人のゴシップネタには反応しないというポリシーは曲げていないので、くだらぬ芸能人の不倫などというタイトルの動画は、スルーしている。しかしながら、いつも世間に有益な情報を提供しているインフルエンサーたちが火種となった動画に関しては、「学習」という観点からも、クリックすることになる。

今は、メンタリストDAIGO氏の「差別ヘイト発言」に、非難殺到の状態であるが、この現象は、今やYahooトピックスにも上がっている状態で、かなりホットな話題となっている。彼の発言に関しての私の見解というのは、やはり白黒とハッキリと隔て付けられぬ曖昧な自分の考えを露呈しそうだし、そもそも、私の個人的な意見を書き綴ったところで、なかなか世間の関心など得られようもない。では、違う角度から、この問題について考察を深めていくこととしよう。

ひろゆき氏のチャット生配信から始まったのかは分からないし、彼のチャットが実際にYouTubeの生放送か否かも分からないのだが、酒を呑みながらの情報発信というのはいかがなものかと思う。リベ大の両学長も、酒を呑みながらのライブ配信を、不定期ではあるが、実施しているが、このスタイルに問題はないのだろうか。酒を呑めば、人間の理性を司る部分が麻痺することも事実であるし、そこで、ポロリと失言をしてしまうこともあろう。居酒屋で、隣の席のオヤジたちの卑猥な雑談に耳を塞ぎたくなるのと同じ状態にもなりかねない。

ここを、規制するのは難しいとはいえ、先進国のエリートたちは、酒の害を知るようになり、断酒をしている段階にいるという。今、テレビでも映画でも、タバコを吸うシーンというのが、規制の対象となっていたと思うのだが、あと10年くらいすれば、飲酒をしながらの動画配信そのものが規制される可能性だって、十分考えられる。このような騒ぎが、飲酒によって引き起こされているということに、着目しているかどうかは、私を含め、少数派なのかもしれないのだが。

私を含め、どのような人であれ、人を傷つけずに生きてこられた人間などいない。どこかしらで、失言や失態を曝け出してしまう。そして、無自覚のまま人を深く傷つけつつ、その相手は、その後の人生で積み降ろすことのできない程の重荷となって、心の中に障壁をつくってしまうこともある。これが、引きこもりや、ニートとなってしまった人たちの引き金となっている場合が多く、相手に対しての強い憎しみを抱えたまま、部屋に閉じ籠り、布団に潜り込んで怒りに震えているのであれば、誰がその人のことを責められよう。

今、どのような人であれ、さまざまな発信方法で、世間に自分の意見を主張できる時代となった。私は、このような時代が到来したことは、実に素晴らしいことだと思っている。一部の有名人や崇高な人の意見こそが正しいという、テレビの中だけで完結していた情報に、多くの視聴者は洗脳されていたとも言える。ただ、ある発言や行為に対して、一般の視聴者が、自由にコメントや自分の意見を主張できる。だから、同じ価値観をもつ人の意見もあれば、違い角度からの意見を知ることもできる。そして、さまざまな角度から自分の考えを捉え直してみれば、自分の考えそのものが、大きく変化することもある。

予備校業界に興味を持ち、自分自身が、教育業界へ進出する中で、どんなに頑張っても、ひとつの教科に、数人の講師の考えしか採り入れられなかった。ただ、今は違う。YouTubeを観れば、多くの予備校講師の授業を無料で閲覧でき、かつては名前だけ聴いて、いまいち人気がなかった講師の動画の授業が、素晴らしいと感じることもある。逆に、ウワサには聴いていた講師の授業が、取るに足らないモノだったと分かることもある。もちろん、これだって、私の観点からの感じ方であり、他の人から見たら、とんでもなく有難い授業であるのかもしれない。

では、そのような予備校講師、あるいは教育系の動画で、酒を呑みながら授業をして、それが違う知識だったとしても、それを真に受け取ってしまえば、その受講者の知識は、間違ったことがインプットされてしまう。全ての視聴者が同じ配信者の動画を見直すという確率は、極めて低いのであるから、それが間違いでしたということを、訂正したくても、完全に実行することはできない。

これを拡大させて考えると、舞台が違うとはいえ、やはり酒を呑みながらの動画配信というのは、いただけない。せめて呑みながらの配信なのであれば、生放送は禁止にするなどの措置を取らなければないだろうか。このような事例が続くのであれば、配信者が発言に注意するだけではなく、その配信の際に、酒を呑んで引き起こされるような不手際が起こらないような、ある種、強制力のある手段を考えるべきだ。

私は、授業をするときには、決してテキストに書き込みをしない。ケースバイケースで動く授業の中で、刻々と変化する雰囲気を感じつつ、臨機応変に授業の流れを調整する為である。もちろん、話が脱線することもあるし、暴言を吐いてしまうこともあるので、なかなか難しい。とはいえ、やはり編集が効かないライブ配信の中で、強い影響力を持つ人が、酒を呑みながら、視聴者とチャットをするというのは、大きな責任を伴う。ある意味では、飲酒運転と同様とも言えると私は思うのだ。

酒は呑んでも、呑まれてはいけない。ハンドルを握るというのは、責任を握るのと同様、自分の発言には、しっかりと責任を持たなければならない。そんなことを考えさせる、DAIGO氏の炎上であった。

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