思考力

グラマー学習に到着した。

私が「英文法」を身につける重要性を説明するときに用いる例文を紹介する。

この文を完成させるのに必要な選択肢を一つ選べ。

「主語は〜に到着した」

主語 (     ) 〇 〜 .

1.reached    2.got   3.arrived   4.embarrassed

上記の問題は、“○”の部分が明記されなければ答えることはできない。少なくとも「3択」に絞ることはできるのだが、試験会場の極度の緊張の渦の中では、未知なる単語「4番」を選んでしまうかもしれない。この根拠のない解答ほど怖いものはない。「4」は、瞬殺しなければならないダミーの選択肢なのだ。あまり、深い説明をしてしまうと「英文法」の解説プリントになってしまうので控えるが、”○”がなければ「1」、“○”に“to"があれば「2」、“○”に“in”/”at”があれば「3」が解答となる。

これを「文法問題」というのだが、こんなに細かな違いなどは気にせずとも、英会話の中で意味が通じればいいという御意見も聞こえてきそうだし、このような枝葉末節なことばかりやっているから、日本人は英語が話せないなどの声も聞こえてきそうだ。そんな苦情の中で、今年から始まった「大学入学共通テスト」からは、文法単独問題は完全に消滅していた。文法単独問題が消滅してしまったことを、私は非常に残念に思っている。

文法問題が役に立たないからという理由で、文法学習を疎かにし、ひたすらに英語のシャワーを浴びて、帰国子女のような英語力を養成しようとでもいうのか、とにかく英語の学習時間を増やすが如く、小学校からの英語教育まで確立されている。まだ、自国語の文法すらマスターし切れていない学習者に、第二言語習得が可能かどうかは、はなはだ疑問だ。文の規則というのは、遵守しなければ大きな事故につながる危険性を多分に含んでおり、日本語訳に頼りきった「感覚的な学習」をして痛い目に遭った受験生を、数多く目撃している。

文法というのは、読むために最低限必要なルールであり、そこを無視することは、主観に走ったワガママな英文「解読」にしかならない。文章を読むときには、主観的な判断をしてはならず、まずは話の筋道を客観的に、そして論理的に理解しなければならない。そのような点において、英文法の問題を解き、英語の原理原則を習得するというのは、極めて重要かつ不可欠な学習なのだ。ましてや、文頭からスラッシュを打って「ぶつギリ」にして和訳でねじ伏せようというのは、絶対に避けなければならない。そう考えると、学年を前倒しにして小学校から英語教育を受けさせるという考え方は、私は肯定的ではなく、中学生になったら「文型と品詞」を中心に英語に触れていくことが大切だと言える。

また「英語4技能」と叫ばれている昨今、リスニングはリスニング、リーディングはリーディング、スピーキング、ライティング、のような区分けの中で、必ずベースとなるルールとして存在するのが英文法なのだから、文法を敵視するというのは、全く理にかなっていないと言えよう。日本語で考える意識を捨て、あくまでも英語のルールに従いつつ、聞こえた順番でシチュエーションをイメージしながら理解できることを目標としなければならない。

 

では、最初の文法問題を再度考えてみよう。これは、選択肢の意味を知っているだけでは問題を解くことはできず、空所の後に続く単語とのリンクで解答が決まる。この問題は、英文法を理解している者なら、全世界共通で解答できる。そのような意味において、英文法の知識というのは「プログラミング」の要素が非常に強く、どのような人種であれ、等しく同じルールが適用されなければならないのだ。そう考えると、文法問題というのは「理系的要素」が多分にあり、数学の方程式や物理学の法則などに基づき、答えが一つしか存在しない問題に対して、正確に対処する能力を育むことができる。テトリスでも、パズルでも、チェスであれ、将棋であれ、一定のルールの中で動いており、そこで勝敗が決まる。

共通テスト前の「センター試験」で出題されていた文法4択問題や、整序英作文、さらには「発音・アクセント」であっても、一定のルールで運用されているのであれば、その事実を認め、その範囲内で筋道立てて考えることが大切だ。私が掲げている「思考力養成学習」とは、自分勝手に物事を考えろというわけではなく、しっかりと思考を明晰にした状態で、物事を柔軟に考えられる力を養成するということを目標としている。そして、そこから「自由に」物事を考えることを理想としているのだ。

 

 

 

 

 

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