思考力

AI講師

昨日もそうだったか、日付またぎのフライングブログ。こうやってブログを書く時間帯によって、現在の精神状態というのが分かるのだから、ブログを書くということそのには、デメリットはない。ただ、文章を「書く」という行為そのものであっても、近い将来は、AIに代替されてしまうようで、最近の出来事と、書いている時間帯、その時点の精神状態を入力するだけで文章が出来上がってしまうという時代が来るのは、すぐそこのようだ。こうやって、日付をまたぎながら、効かぬ睡眠薬の効果を待ちながら文章を書いたり、昔のように、3リットル程度のワインを飲み干して、起きると空き瓶がゴロゴロと転がっていたような時代が終わってしまう。これもまた寂しいものだ。

ただ、時の流れや時間の中で変化する事象や流行というものに変化はつきもので、私の幼少期に住んでいた最寄駅の改札では、人が切符を確認していたし、その高架下の赤提灯で、酔っ払いのサラリーマンが頭にネクタイをして歩いているような時代。今は、コントやバラエティーでも見られない様子。むしろ、あの頃は、などという昭和の時代をガラパゴス化したような動画も見受けられる。そういえば、原チャリのノーヘルなどは、格好のケー官のお仕事で、友人も何度も捕まっていたし、私もメガネをかけずに運転していたという今では考えられないような運転もしていた。

今考えたら、とんでもない時代になった。シートベルトをしなければ車を走らせられないような警告音が流れ、自転車でさえヘルメット着用義務努力が推奨される。こう考えると、やはり近いうちに、無人で目的地まで運転してくれるロボットがビュンビュンと走り回る時代が来るのも、もはや遠い話ではない。昔は、人間が車を操作して、人間が交通違反の切符を切っていたんだよ、などと孫に話す高齢者も多くなる。その多くなる高齢者を支え切れないほどの少子化が進むと、この国は一体どうなってしまうのだろうか。私個人にできることなど、消しゴムのカス程度のカスのカスにもならないけれど、毎日、こうやって記事を作成することを日課としていることに、誇りを持つ事はできると思っている。

4月から年度が変わる。すると、学生は新しい学年になるわけで、新大学生も出現する。そうなってくるときに、一番の塾講師の講師変更が行われる時である。昨日の記事と被りたくないので話を変えて書けば、今、自分の中で特殊な波が近づいてきていて、その裏にも、その裏にも波が重なっている状態。おそらく、どの波を選んでも、綺麗に波に乗れる事は間違いなさそうだ。それならば、こなまま立ち止まるのか、出生地に戻るのか、その隣の県に移動するのか。それは、やはり重要な選択であるが、自分の中では、まだ決定的な事は決められていない。ただ一つ決められることがあるとすれば、自分の中で「教師」という「職人」の心を忘れないということだ。

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