思考力

走れる波

負けを知りて、自分の弱さを知り、そこを克服して自分の成長があるのだと思っている。「失敗は成功の元」とはよく言ったのもであり、自己克服の過程の中では、必ずと言っていいほどの「失敗」は、付き物なのだ。負けを知らないボクサーが、乗りこえられることができない自分自身をコントロールできずに、眠りに入るのが怖くなってしまうのであれば、それは究極の自己克服であろう。弱い自分という他者と闘っているのだから、失敗や挫折が成長の糧となるのであれば、どんどん失敗をして自分の中の経験値を上げていくべきななのだ。

今まで、自分が正しいと思っていたこと。それがほんの数分前のものであれ、年単位の長いことであれ、その認識そのものに違和感を感じ、間違ってたと考えられるようになったのであれば、そこには強い「恥」の感情を抱かざるを得ない。それを恐れるがあまり、自分を自分の殻の中に閉じ込めることは、得策とは言えない。恥を知りて、自分の愚かさを知らなければならないのだ。恥をかいた分だけ、自分の視野が広くなると考えれば、たくさんのトラブルを通り抜けられたということで、自分の経験値が多く貯まっていく。

素晴らしい自分。自分が、心から凄いと思える自分。それは、究極的には捕まえることはできない。そんな理想は、陽炎のように、スッスッと先へ先へと進んでしまうから。自分はすごい逸材だと感じるということは、慢心に過ぎず、小さな自己克服を絶えず行ってさえいれば、どこかでその輪郭が見えることもあるかもしれないということだ。それすら保証はない。

自分の視野が走れる波を見抜けるようになった時、それがたとえインスピレーションだったとしても、捕まえにいくことを躊躇ってはいけない。いつか大きく波に乗れる時が来るのだから。

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