思考力

ふたり

私の依存している対象は、やはり根が深いようで、その依存症の末路の動画をYoutubeで閲覧していると、全ての人が「廃人」のような最後に辿り着いている。私自身、もはや末期症状であり、自分の力では、どうしようもない。明日、持病の治療で、東京に行くのだが、その時に相談しようと思う。依存症というのは、自覚症状がある人がほとんどで、やってはいけないという自責の念が強ければ強いほど、やってしまった時の罪悪感が強くのしかかってくる。私もこの依存症で、大伯時間とお金を浪費してしまった。特に、時間に関しては、計り知れない後悔の気持ちを拭えない。

幸せになる為に、絶対にやってはいけないと思う依存症なのだが、ここから解放されるには、もはや不可能に近く、これからの人生の中で、上手く付き合っていくことになる。負けを認めるわけではないが、もはや「共存」という気持ちを持たなければ、依存症の魔の手にガッチリと身体中を掴まれて、奈落の底へと引きずり込まれてしまうはずだ。それは、間違いない。

ただ、1日1日を、依存症と向き合いつつ、共存できたのであれば、そこを自己肯定感として認めてあげれば良い。誰かに否定されたり、叱責されることは避けたいし、自分の中に眠っている、もう1人の自分に対して、自分の無力感を認め合わなければならないのである。世の中には、良い人と悪い人だけではなく、実は、もう一種類、分類されるカテゴリーがある。それは、関わってはいけない人だ。過去の自分の醜態を笑いながらも、さぞかし自分の養分を搾取しようとしている者などは、絶対に関わってはいけない。すべてを持ち逃げされて、傷跡くらいしか残らなくなってしまう。

今の自分には、経済的余裕というものがない。ただ、経済的余裕さえできれば、自分の中の軸が、形成されることも確かなことなのだ。今は、冬の時代だが、季節が冬になる頃に、あたたかい自分を取り戻せたら良いと思っている。

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