思考力

FINナーレ

けっこう、アッサリとだけれども、今日、ふとブログを辞めようと思った。本当に、今日の午前中までは、そんな気持ちなんてなかったのだけれども、何かと年度の終わり目立ったり、新しいSNSを始めたりで、時代の情報速度が、一気に高まったことに気づいたからだ。いや、薄々は気づいて居たものの、実際に「終わり」を決められるほどの気持ちもなく、このままつらつらとブログを書いていくことになるのかとも考えて居た。それでも、時代は、急速に動いていて、それを認めようとすれば、一個人が発信している「雑記ブログ」など、何の有益性も産まないし、そもそもブログに当てている時間を、今始めたばかりのSNS発信に切り替えれば、今よりよほど多くの人にリーチできると思った。

かつて、もう十年以上前にでもなるのか、アメブロで発信していたブログであれ、今のブログであれ、行き着く先は、「自分」という狭い世界の中での、取り止めのない内容であり、我先にこのブログからの発信で、いち早く情報を撮りに来る人など皆無。それならば、いっそのこと、今年度の「キリ」であるこの記事で、ブログを「斬る」ことも肯定しようと思った。一流芸能人の日々の生活なら気になる人も多く居て、それこそ大きな価値があれど、私などの私生活のブログ記事には、なんら価値もない。それに、もう、自己発信の手段としては、ブログは古すぎる。テキスト媒体の文字を目で追っていくことは、ある意味では時代遅れであり、今は、音声や動画での配信で、一般の人の有益な情報をゲットできる。一攫千金を狙っている人も多いのかもしれないけれども、自分自身の居場所を作る媒体として、ブログは古くなりすぎた。

YouTubeで、自分の記事の発信もしてみたけれども、それに対しての反応も少なく、再生回数も、二桁を超えるのがやっとの状態。そして、何よりも、動画をアップロードする時の手間隙がかかりすぎていて、他のSNSでの発信が遅れてしまうような気もしてきた。いや、実際、そうなってしまった。中年のリタイア生活のドライブ日記やスケボー紀行を読み聞きしていたとしても、その人には、何の生産性もないような気もしている。とりあえず、誰かのせいにして終わりにするのではなく、あくまでも自分自身の判断での結果だ。

人は、あることを習慣にするのに、「66日」かかるというデータが出ている。だから、このブログ発信活動を始めたときに、最低でも「66日」を目指して書き綴っていた。でも、もともと「書く」ということが好きだったこともあり、1ヶ月もした頃から、苦痛が喜びに転換するような気配もあった。そして、今日に至るわけである。明日も、明後日も、明々後日も、ブログを書くためにパソコンを開いてしまいそうだけれども、もうそんな責任というか、義務感みたいなものも、背中から降ろしてあげていいと思う。実によくやったと褒めてあげてもいいくらいだ。

YouTubeにアップロードするときに、タイトル案を「5つ」、概要欄を「5ブロック」、ハッシュタグを5つ、チャットGPTに任せつつ、自分で手直しをしてアップロードしていた。実際、自分がブログを書くことをやめようと思った一番の理由がここであった。もう、すでにタイトルだけプロンプトに入力すれば、ブログとして成立してしまう文章が生成できるし、言葉の語尾であれ、文字数であれ、何かのデータを挟むことであれ、全てAIが代わりにやってくれる。自分の気持ちの奥底までは、表現してくれないとはいえ、もはや自分の書いている雑記ブログと同じような「出来事」の羅列なのであれば、チャットGPTを使えば、ものの1分程度で完成する。アメブロを書いていた時の自分はもちろん、一年前の自分ですら、こんな化物のようなAIが爆誕するとは思ってもみなかった。

そして、決定的な事実として、自分がチャットGPTを通して、プログラミングの知識なしで開発者側に回れるようになり、もはや使う側から、「作成者側」へと変貌できてしまったのだ。YouTubeの耳学をしながら、チャットGPTのアプリ開発関係の動画を聞き流し、それを家で学習し直し、今朝、あっさりと自分だけのオリジナルGPTが完成させられたのだ。本当に呆気なく、そしてあっさりと完成した。世間より、一歩か二歩リードしている気持ちになりつつ、今後は、開発者側になろうと意を決することができるほどだった。そして、自分が作ったAIは、まさに文章を要約しつつ、それを英語でも翻訳できるという仕様にした。これは、かなりニーズがあると確信できた。

今、チャットGPTの中で、それを販売することができないけれども、近い将来、必ず販売する時が来る。これは、ほぼほぼ確定している。そんなときに、便利なAIを見つけたと喜ぶのではなく、利用者に「見つけてもらえた」という気持ちになれるようにしたいと思う。そんなこんなで、本当に長かったブログ作成生活だったけれども、ピリオドを打とうと思います。ブラック企業から抜け、母の死があり、自分自身の経済面が最低ランクまで下がり、さらに頭蓋骨骨折で、生死の境を彷徨った。そんな中での記事制作だったけれども、この積み上げてきた努力から学べたことは本当に大きかった。文章作成の技術、構成力、表現力、比喩的な言い回しなど。これは、一朝一夕で養えるものではない。つまり、「思考力養成予備校」代表の私が、思考力養成予備校の最優等生として、卒業証書を手に入れてエンドロールが流れるのである。

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