思考力

心理の真理

最近の受験生は、恵まれている。YouTubeを開けば、カリスマ先生の授業を無料で受けられるのだから。最近、そのようなことを強く思っていたし、実際、このブログでも、何回か記していることであった。しかしながら、なかなか興味深いことも分かってきた。それは、どんなに恵まれた環境であれ、やらないヤツはやらないということだ。長蛇の列に並んで、授業を受け、夏は汗だくになり、冬は掌に息をかけて、次の授業を待つ。そんな私のような時代の受験生でも、ワンクリックの時代の受験生でも、やはり学力の向上は、その人次第ということになる。

私の時代は、生の授業をカセットテープで録音して帰宅してから聴いていたものだが、結局、改めて聴くこともなく、カセットテープだけコレクションのように溜まっていったものだ。また、そのコレクションを眺めて勉強するのも楽しいといえば楽しいのだが、なんだかんだ言っても、コレクションよりも、学力を上げた人の勝ちなので、機械に頼った学習など、モチベーションが続かないものである。分かってはいるけど、人の意思というのは弱いもので、自分の行動に自信を持って進むということは、とても難しいのである。

そもそも、学問というのは、自発的に興味を持った分野に挑戦するべきであって、強制されるものではない。こう言うと、詰め込み型の受験システムそのものを否定するようになってしまうが、それは違う。もし否定してしまうのであれば、私が歩んできた講師生活を否定することになってしまう。まず、苦しいながらも受験で得た知識と、その過程で得られたこれからの人生の方向性を自分で判断し、大学で「大いに学ぶ」。これこそが大切なことなのだと思っている。

多少はマシになったとはいえ、受験で合格した瞬間に、遊びのドーパミンが大放出するような輩が、いまだにいるのは事実。そのようなヒトは、地獄に向かっているのは間違いはなく、大学で4年間学びながらも、自分の人生について深く考えられる人は、収入が多い少ないにかかわらず、素晴らしい人生が待っている。

YouTubeで、私が受験生だった頃の20年以上前の動画が、アップされては、著作権の関係で削除されている。その懐かしい動画を観ていると、自分が費やした10代後半の貴重な時期を、受験で費やしたことに、多少のことだが、プライドのような好感触を得られる。少なくとも、アドレナリン大放出で、遊び呆けた人間よりは、よっぽどマシだと言える。また、そんな時代を過ごさせてくれた両親にも感謝したい。2人とも、もう、天国に逝ってしまったのだが、感謝の念は絶えない。最近は、両親のことをよく考えるようになった。あとから後から、感謝の気持ちばかりが溢れてくる。歳をとると、両親の存在の大きさが、どんどん大きくなっていく。これは、不変の心理(真理)なのだと思う。

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