思考力

捨てられぬ自尊心

全くもって、書かずにはいられないことが、昨日起こった。とある学習塾の採用面接が、昨日あったのだが、そこの社長と教室長を含めた最終面接であった。社長は、とても丁寧な姿勢で、私の話を聞いてくれたのだが、その部下であるはずの教室長の態度が、とにかく悪い。ずっと下を向いて、寝ているのだか起きているのだか、全くわからないような姿勢で、うつむきながら話を聞いている。気になって仕方がない。社長が、その社員に対して、何か質問はあるかと尋ねても、何も言わず、首を横に振るばかり。果たして、こんな面接などありうるのだろうか。実に不愉快極まりない。

私のお財布事情は、もはや今までの記事に書いてある通り、大きな穴が開いている状態であるが、仮に採用になったとしても、不採用になったとしても、私は喜んで辞退しようと思っている。職人として講師をしている私にとって、昨日の教室長の態度は、目に余るものがあり、入社できたとしても、とんでもなく不愉快な状態に陥ることが目に見えてわかったからだ。初対面の人に対して、あのような煩雑な態度を取ると、どれだけ愚かな結末になるのかを、当の本人に思い知らせてやらねばならない。

かっこいい仕事は、だいたいブラックだ。その過酷さに耐えに耐えて、大きな偉業を成し遂げられるのだと思う。ただ、そこでの業務の量や仕事の責任感以外でのストレスというのは、まったく持って避けられなければ、とてもとてもいい仕事をすることはできない。まして、教室長となるような立場の人間が、あのような無礼極まりない態度を取るのであれば、そこは、ブラックというより、関わってはいけない会社であるのだと思う。

根性があるとかないとかいう前に、関わってはいけない会社に当たってしまったのであれば、なりふり構わず、全速力で逃げなければ、心身ともに崩壊することは、今までの経験から、容易に理解できるのだ。一つしかない体と心と命と時間を、くだらぬ輩に捧げるほどタフでもなければ、時間を持て余しているわけでもない。心の裕福さを失ってしまえば、なんのために生きているのだか分からなくなってしまう。

講師としてのプライド。今まで積み重ねてきた経験。それを捨ててしまうことは、今までの自分に嘘をつくことになってしまう。そんなことをしたら、今までの自分に対して、とても失礼だ。変にもっているプライドなら捨てなければいけないと思うが、相手の態度があまりにも無礼ならば、その程度の職場なのだ。その時は、潔く胸を張って、その環境から退かなければならないと思っている。昨日、そのことを強く感じた次第である。

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