思考力

模倣の埋蔵品

昨日一昨日と、東京で一泊したのだが、結構いろいろなことがあった。普段、まさにルーティンが定まり切っていて、特段のところ変化がないので、渋谷という大都市に行くと、やはり刺激的なことが鮮明に心に写ってしまうのかもしれない。とりあえずの目標だった、ズボンを購入するために、渋谷の夜の繁華街を歩いていると、まさに欲望が渦巻いていて、なんだかスカスカしたモノしか目に映らなかった気持ちだった。それが一番の印象的な事になってしまったのかもしれないが、何件も服屋を見て回ると、やはり購買意欲というのは刺激され、しかもどこもかしこも「セール」の赤札が付いている。こんな時こそ財布の紐を締めんばかりと、かなり多くの店をまわった。

ここ数年のところ、いわゆるブティックのようなショップに行っていなかったので、「いらっしゃいませ」のところを、「こんにちは!」で挨拶してくるスタッフたちが、妙に気味悪かった。そんな中、高校時代に少しだけ入ったことのある古着屋に行くと、知る人ぞ知る「ビービークイーンズ」のような男女のスタッフが切り盛りしていて、どんどんこちらに近寄ってきて、探しているモノはなんだとか、これはビンテージだとか言って、もはや入り口を塞がれてしまう勢いだった。こんな時は、なかなか引き下がれないとはいえ、かなり勇気を出して、何も買わずに退店した。やはり、九十年代を象徴するような「押し売り」に恐怖すら感じてしまった。

結局、自分のお腹周りのダブダブが、いつ痩せても良いように、スウェット素材のズボンを探していたのだが、なんと、腰回りだけがストレッチするビンテージデニムのようなパンツがあった。古着屋やリサイクルショップにも行ったけれども、やはりそこの商品に決め、定価で買った。結局のところ、視る目が定まっていれば、値段が下げられていることもないし、大抵のところ気になった商品は、それだけの高価なプライスが付いている。まさに、90年台のビンテージブームで、本物を見抜いて養った鑑定の感覚というのは廃れてはいなかった。先述の危険な古着屋のスタッフの口からも、最近ではメルカリなどのブームで、店舗で服を買う人がいなくなったことを嘆いていた。ただ、それだからといって、雑居ビルの中に存在する恐ろしい雰囲気の中で買い物をする気にはなれない。

ホテルについてすぐにトラブルが発生したのだけれども、それは内密にするということで決着がついたので、大っぴらに具体的なことは書けない。このSNS全盛期の時代に、私のこんな記事であっても、どこかで引火して炎上してしまうかもしれない。そんなごくごくわずかの可能性であっても、やはりネットで情報発信するというときには、念には念を入れ、その念を封じ込めるために、情報を出さないという選択肢を選ぶくらいがちょうど良いのかもしれない。

千葉に戻り、早速膝のリハビリへ向かう。案の定、とんでもない混雑で、患者で溢れかえっていた。一回のリハビリで3時間以上かかるというのは、やはり考え直さねければならないような気がしてきたが、何も中途半端な形で治療を中断するのも気が引ける。なんだかんだ言っても、腰椎分離症で一生コルセットか手術しかないという誤診から復帰できたのであれば、ヤブ医者の診察やリハビリなどは、絶対に拒否しなければなrない、それは、当然のことだ。

年が明けて、ふるさと納税の返礼品が、止まることを知らない。今日は、4品も返礼品を受け取った。やはり、このような税制優遇制度を知っているか否かで、生活のクウォリティーが変わってしまうのなら、お金の仕組みについて、とことん勉強する姿勢は重要だ。お金持ちと言うのは、労働からの収益というよりも、資産所得や、税負担などから出費を守るという姿勢を大事にしている。それならば、その姿勢を真似することで、自分の生活を潤滑にするほうがいい。膝のヒアルロン酸注射であれ、時間をかけてリハビリとともに定期的に射ち、それで徐々に良くなっていく。やはり全体を俯瞰して、自分の最適解を探りながら生きていくことは、とても効率的な生き方にもつながってくるのだ。

-思考力