思考力

オンライン版レベルアルティメットまどか

どうやら、しばらく釣りに行くことはなくなりそうだ。あれだけ、「釣り」「釣り」「釣り」「釣り」と言っていたのに、だ。私は、マルチタクスクを不得手としており、趣味に関しても然り。サーフィンと釣りの両立ができない。理想的には、週2回釣りに行き、週2回サーフィンをするなどのペースが良いのかもしれない。また、1日の中で、サーフィンの後に釣りをしたり、夜釣りの後に、ライジング・サンを拝みながら、スーパー朝イチの波乗りをするのは、まさに究極の状態と言える。

私が、千葉の塾で授業をしていたとき、一番相性が良いクラスでは、笑い過ぎて呼吸困難になって床に崩れ落ちる状態を、「レベルアルティメットまどか」と命名していた。これは、まさに「神」の領域であり、神と同じレベル。ありえないが、「もしも」の時に備えて用意していたレベルだった。しかしながら、私の大ファンである女子生徒が、私のオリジナル授業で、「レベルアルティメットまどか」の状態へ入り込んでしまった。机に突っ伏して、大声で爆笑。呼吸困難とともに、涙をボロボロ流しての超大爆笑。後から「〇〇さんは、どうして泣いていたの?」と校長から訊かれるほど。「ただの笑い過ぎです」と返答した懐かしい思い出もある。このシチュエーションは、おそらく、お互い一生忘れることはないだろう。

話が脱線しすぎて、今日のテーマが何だったのかが分からなくなった。とりあえず、「釣り熱」に歯止めがかかったということから仕切り直しをしよう。サビキ釣りで、ワンサカ魚を釣って、向いに住む煎茶の師範に配って、次回の「お茶会」の参加費用を免除してもらうのも悪くなかったが、前回のお茶会は、初回ということで「参加費免除」だった。そう考えると、お返しとして「新鮮な魚」を贈るのは当然ともいえる。だが、おそらく冷めてしまうであろう「釣り熱」。お魚プレゼント贈呈は、少し先になりそうだ。

人間は、何をしているときが、一番気持ち良いのだろうか。脳科学的に考えると、やはり「ドーパミン」が、ドバドバと脳内から溢れ出ている状態にいるときだろう。それは、パチンコ業界では「脳汁垂れ流し状態」と表現されることもあるし、男女共に、性的な観点で考えると「イク」瞬間であろう。「レベルアルティメットまどか」状態も多分に漏れず、ドーパミンが受験で凝り固まった脳ミソをカチ割って、大放出したわけだから、前述の生徒と私は、授業中にもかかわらず、他の生徒たちがいる前で、「イケナイ関係」になったことになる。それを考えると、けっこう興奮するので、やはり私は、教師としては、不適合者なのかもしれない。

いろいろな論文や本を解説している動画を、毎晩のように視聴していると、実に様々な科学的データを知ることができる。これを話のキッカケにして、誰かと雑談するときの火種になることも多い。釣り場の人や、床屋の店主、主治医との会話など。私のLINEには、数えられるくらいしか「友だち」がいないのだが、久しぶりに「友だち」に会っても、話のネタには困ることはないだろう。やはり、人間は、心身ともに健康に生き、ゆとりある生活を求め、早死にしたいとは思っていない。だから、準富裕層並みの経済的余裕は欲しいと思っているはずで、労働の奴隷から抜け出し、賢く生きる術を知りたいと思っている。そんな「小ネタ」をたくさん仕入れてある。

Close up view of african left-handed businessman writing in notebook, american male hands holding pen making notes planning new appointments information in organizer personal paper planner at desk

今回のブログは、話が行ったり来たりしているようだが、書くネタがなくて右往左往しているわけではなく、昨日受けた衝撃的で屈辱的な事件の根本的な原因が何だったのかを徹底的に炙り出す為に、様々な角度から論点の的を射抜く下地を作っている。だから、1400文字以上の5段落も割いて、前置きをつくった。焦らし過ぎたので結論を言うと、釣り熱を冷ました原因は、「英語講師復帰」によるものだ。東京から千葉へ引っ越す直前まで、4年3ヶ月もの間、勤務していた塾の「オンライン講師」をさせていただくことになった。それが、私のノーミソのドーパミンを垂れ流しにしたのだ。

Woman using laptop while sitting at home.

ドーパミンが分泌する穴があると仮定して、ドーパミンがコーラのような炭酸水で、私の頭蓋骨がドーパミンを内蔵する容器だとしたら、オンライン授業の難しさにアタマを揺さぶられ、炭酸ドーパミンの蓋が弾け飛んでしまった状態。そんな比喩的状態の渦中なのだから、さぞかし満足のいく研修ができたのかと思いきや、現状は真逆である。パソコンの操作に気を取られ、生徒役の塾長の表情が分からない。しかもマスクをしている。ただでさえ落ち着いた「石」のような塾長だが、どんな反応をしているのかが画面越しでは見えない。それでいて、こちらの表情を写すこともできず、手元のiPadを書画カメラで写すだけ。私が売りにしている「雑談」であっても、到底「レベルアルティメットまどか」に到達するとは思えず、沈黙している模擬授業で、焦りが焦りを呼び、自分でも何を解説しているのか分からなくなった。

授業を止められ、たった6行程度の英文解釈の問題を、気づくと「30分以上」解説していた。机の上に置いてあった時計の存在すら忘れていた。しかも、塾長は、授業中に「あくび」をしていたと言う。こんな情けない授業をしたのは、エリート中学受験生を対象にした塾の国語の講師の代行授業をしたとき以来だった。後ろの席で見ていた社員講師に酷く罵られて、小学生相手の授業が自分にとって、どれほど向いていないかを痛感し、そのまま辞職したときのトラウマが蘇った。

だが、私は、ウソ遜色なく、自分の担当する生徒のためには、命がけで指導をする。たとえ、遠隔の授業であっても同じだ。そして、これからの時代の教育が、オンラインにシフトしていくのならば、いち早く自分の「オンライン授業スキル」を向上させなければならない。ただ、昨日のボロボロのオンライン授業で、明確に理解できたことは、勉強を苦手としている生徒を、勉強する方向へ突っ走るモチベーションを上げられる上級指導者であったとしても、伝統ある大手の超カリスマ予備校講師であっても、対面の授業とオンラインのライブ授業は、全く似て非なる代物で、その実力は、オンライン指導とは全くの別物になるということだった。

そう考えたときに、今まで20年以上積み上げてきた私の対面授業の経験を基に、オンライン授業における【カリスマ講師】になるチャンスが十分あるではないか。これは、完全にブルーオーシャンだ。「単語・文法・英文解釈・長文」など、多岐に渡る指導をしているときに、講師と生徒が同じ資料を画面越しで共有できれば、時間的効率も含め、とんでもなく効果的な授業ができる。普通の対面授業よりも、生徒の勉強の集中力を高めることもできるし、自宅にあるオモシログッズを見せて、「レベルアルティメットまどか突入」も可能になるかもしれない。素晴らしいリラックス法だ。

投資には、リスクが必要。そして、投資には「初期投資費用」が不可欠。偶然、赤字がなくなった私の借金完済と、少しできた余剰資金で「MacBook Air」を購入してしまおう。さすがに、メルカリで購入した「MacBook Pro2012」だとキツイので。お財布には厳しいが、これからのリターンを信じて、大奮発だ。

 

-思考力